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君と見上げる月…🌙


「ねえねえ、見てよ、月がきれい、すごく大きいよ!」
夜空にぽっかり浮かんだまんまるな月を見て、僕は思わず叫んだ。
「まだ月が地表に近い時間帯だからそう見えるんだろう」
父はその時何かを読んでいたのかもしれない。めくるページから目も上げなかった。
「外に出たら、もっときれいに見えるよ」
僕は父を外に誘った。父にも明るくて大きな丸い月を見て欲しくて。
「夜は冷えるから外に行くなら何か羽織っていけ」
でも父はそう言っただけだった。
外に出た僕はしばらく一人、明るく光を放つ月を眺めていた。何か意地のようなものがあったのか、僕は父が外に出てくるのを待っていた。結局父は外に出ることもなかったし、そろそろ中に入れ、と声をかけることもなかった。いつの間にか僕はそのまま寝入ってしまって、気がついた時にはもう家中の電気が消え静まり返っていた。僕のことはすっかり頭から抜け落ちてしまったらしい。

笑える話だが、いつも僕の胸をちくりと刺す忘れ難い記憶だ。
父は万事そんな調子の人だった。冷たい人ではないけど、自分の世界が何より大切で、その閉じた世界に生きているような人。
あの夜、大きな月を一人で見ながら僕は気づいた。父にとっては、息子である僕も父の周辺にぼんやりと存在しているたいして興味の持てないものの一つにすぎないと。
母はそんな父に見切りをつけたのかすでに家を出てしまっていた。母が去った朝でさえ父は、いつもと変わらず新聞を広げ黙ってコーヒーを飲んでいた。
そして母が家を出た時僕を連れて行かなかった理由の一端を、今では理解している。結局僕もまた、父と同類の人間だということだ。感情をおざなりにしがちという点で特に。

父がこの世から去ってから結構な年月が経ったのに、そんなことを思い出しているのは、今夜の月がやけに明るくあの夜を思わせるからかもしれない。
「I love you」の洒落た言い回しとして「月が綺麗ですね」というのは有名だけど、実に適切な意訳だと思う。一緒に月を眺めたいと思うのは、そういうことだ。父と一緒に月を眺めたかった幼い頃の僕が、今ではひどく懐かしい。
小さい頃の1人きりの月見が原因というわけではないが、あまり月を見上げようとは思わない。それでも月の美しさは理解しているつもりだ。
今夜の月。白く澄んだ光は僕にも届く。もし今夜、あの月の光を誰かと共有するとしたら、僕と同じように1人で夜空を見上げる見知らぬ誰かがいい。



9/15/2025, 1:12:44 AM