緋衣草

Open App

喪失感   (9.10)



 あぁ、なんて幸せで満ち足りた日々なんだ。
 
 そんな風に嘆いてみると隣の女はキャハキャハと笑い狂った。わたしもよ、と溢れる吐息が熱っぽい。
 ルックスはもとより、金も人望もあった。学力ですら柄にもなく努力して身につけた。両手に花なんて甘っちょろい。花畑から選んでも花束だ。

 あー幸せ。

 ある日女を連れて鏡の前を通り過ぎようとした時、俺は愕然とした。虚な瞳。一見整った顔も奇妙に崩れて老けたようだ。

 幸せだろ?

 鏡の向こうに言い聞かせる。いびつに口角を上げた気味の悪い顔が映る。急に立ち止まった俺に不審な目をした女はやけに開いた胸元を押し付けて、いこぉー?とねだっている。
 やめろよ女臭い。と言いかけた自分に固まる。粉っぽくて吐きそうになるほど匂いがくどい。
 こいつは俺にとってなんだろう。そんなことを思うと急に手先が冷えてきた。視界が、脳内が、はっきりくっきりとしてきた。



 俺はなんでも持ってる。たぶん、幸せ以外は。

9/10/2023, 11:52:12 AM