らくは

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「私の当たり前」が今日のテーマだ。「私の当たり前」が「世間の当たり前」と違った、というのはよくある話だと思う。自分は子供の頃、全ての会話を議論だ思っていた、というか、会話と議論の区別がついていなかった。例えばこんな具合だ。

「私、リンゴが好きなんだよね」
「リンゴかあ、でも皮を剥くのが面倒じゃん」
「それはだいだいの果物がそうじゃん」
「バナナとかミカンは手で剥けるじゃん」
「でもリンゴのほうが(以下略)」

これは、別に相手のことが嫌いなわけではないし、機嫌が悪いわけでもない。相手の発言に対してなんとなく反論することで会話が続いていく、軽いディベートようなものだ。自分には姉と弟がいたが、家での兄弟の会話はたいていこのノリだった気がする。両親がふたりとも理系だった影響だろうか。
ところが中学生くらいになると、周りの女子達の会話は全然違う。

「私、リンゴが好きなんだよね」
「わかる。リンゴ美味しいよね」
「みためも赤くてツヤツヤしてて綺麗だし」
「いつでも売ってるし、値段も高くないしね」
「そう! イチゴとかブドウは高いもんね」

相手の発言を決して否定せず、ひたすらひとつの方向に進んでいく。とにかく同意と共感が大事。これがガールズトークというやつである。大人になった今では、この形式の会話にもなんとか乗れるようになったが、中学生の頃の自分はひたすらポカンと聞いているか、つい反論をして周囲から浮くかだった。あまりにも自分の「当たり前」と違う、異文化だったのだ。

7/9/2024, 2:30:23 PM