なこさか

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 想像の中で



 「あ……」

 「おや、こんにちは。スピカ」

 生活棟の中庭。その片隅にある木陰のベンチに、いつもはあの図書館にいる先生が座っていた。その手には見開きの本がある。

 「こんにちは、先生。ええっと……」

 「ふふ。ここにいることが珍しいですか?」

 にこりと微笑んで先生はそう言った。図星だった俺はいたたまれなくなって、先生から視線を逸らすと楽しげに笑う声が聞こえる。

 「ついさっき、ヴァシリーにも同じことを言われましたよ」

 「ヴァシリー幹部に……」

 「ええ。引きこもりのお前が、ここにいるってことは明日は槍でも降るのか?って」

 (言っていることが物騒すぎる……)

 でも、幹部なりの冗談なのかもと思った。先生は空いている隣を指さして「良かったら座りませんか?」と聞いてくる。

 「なら、お言葉に甘えて」

 先生の隣に腰掛けると、先生が見ている本の中身がよく見えた。けれど、それはほぼ白紙だった。

 「もしかして、執筆中でしたか?」

 「ええ。いつもなら司書室にいて、執筆も捗るのですが……今日は筆がなかなか進まなかったんです。それで、気分転換にここへ。ここにいて目を閉じ、耳を澄ませるといろんな音が聞こえてきます。鳥の声や風の音、騎士たちの談笑する声や真面目な声、遠くからは訓練場から響く剣の音も」

 「それが、気分転換に?」

 「はい。そこから想像するんです。鳥の声がしたなら、巣が近くにあって、そこに雛鳥がいるのか……とか。心地よい風が吹いているなら、それに揺れる花の情景を思い浮かべ、騎士たちの声が聞こえるならどんな話をしているのかと想像するのです」

 目を閉じながら楽しそうに語る先生。
 先生の言葉は不思議だ。何でもない言葉であるはずなのに、すっと心の中に入ってくる。それはとても大切な教えのように聞こえるし、やってみたいと思わせるような力がある。日頃から文字を扱う役目に就いているからなのか、それとも先生の天性の才能なのかは俺には分からないけれど。

 「それって、すごく楽しそう」

 俺の言葉に先生は目を開ける。そうして、俺に向かって優しく笑って、生徒を褒めるように頭を撫でてくる。

 「ええ。とても楽しいですよ。スピカもやってみますか?任務はもう無いのでしょう?」

 「はい。後はもう何も」

 「ふふ。では、目を閉じてみてください。そして、聞こえてくる音を聞いて、想像するんです」

 言われた通りに目を閉じてみる。しばらくして聞こえてきたのは聞き慣れた声だ。それは訓練場の方から聞こえてくる。

 「まだまだ詰めが甘いな?ミル。それではいつまで経っても俺から一本取れないぞ?」

 「次こそはちゃんと取ってみせるよ。ヴァシリー」

 「せいぜい頑張ることだな」

 楽しげに笑う声と少しむすっとした声が聞こえてくる。ヴァシリー幹部とミルの声だ。
 きっとさっきまで訓練していたんだと思う。会話の感じからすると、ミルは幹部から一本も取れなかったみたい。……あの方はかなり強いし、それに食らいつけるミルがすごい。
 ミルのことだからきっと次は……。

 「ふふ。少しは想像できましたか?」

 目を開くと、先生が笑っている。俺は頷いた。

 「楽しいでしょう?想像するのは」

 「はい、とても楽しいです。俺もこれからは気分転換にやってみようと思います」

 「ええ、きっと楽しめますよ」

 「スピカ!」

 駆け寄ってきた親友に「何をしていたの?」と聞かれる。俺は少し考えた後に純粋な目をした親友に目を向けた。

 「先生とお話ししていたんだ」

 
 

5/4/2024, 11:02:25 PM