悲しみや傷を癒してあげるため
喜んでもらうため
役に立つため
優しさを伝えるため、
誰かのためにと動いてきた。
だけどそれらが、
優しさのある人間であることを
気の利く人間であることを
人として価値があることを
認めてもらうための行動だと気付いた。
誰かのためじゃなく
自信のなさを埋めるためだった。
誰かを可哀想に仕立てたり
誰かを酷い人に仕立てたり
誰かを助けが無いと
生きてはいけない人に仕立てたり、
あの人たちを
「弱い」と決めつけていた。
「誰かのためになるならば」2022/07/27
7/27/2022, 4:57:02 AM