『理想のあなた』
彼女の日常に戻る姿が好きだ。
ヘアバンドで普段隠れているまんまるな額があらわになる。
出際よく化粧水で素肌を整え、彼女はメイクを施していった。
爽やかな五月の日差しを浴びた瞼がキラキラときらめく。
まどろんでいた長い睫毛が目を覚ましたかのように上を向いた。
薄い桜色の唇には瑞々しい鮮度と艶めいた柘榴が宿る。
柔らかな頬にもほんのりと華やかな桜が色づいた。
ヘアバンドを外したあとは、ヘアアイロンで跳ねた前髪を整える。
青銀の細い髪の毛を後ろで束ねたところで、彼女がようやく俺を視認した。
「……楽しい?」
「ええ。とても」
「ねえ。服はれーじくが好きに選んでいいよ?」
「え」
今日のデートのためだろうか。
なにを思い立ったのか、彼女が突如、誘惑をぶら下げてきた。
俺に選択肢があるだとっ!?
爆速で寝室に行き、クローゼットを開ける。
シーズンが終わってしまう前に着てほしかったトレンチコートを手に取った。
その他もろもろの小物を手にして戻ると、彼女は眉をしかめる。
「ジーパンに合う服にしてね?」
好きにしていいと言ったのは彼女なのに。
ジーパンどころか、まだ下着しかつけてないクセに。
開口一番のその文句に、今度は俺が眉を寄せた。
「選択肢が急に狭まりましたね?」
「いきなりそんなピンクのふわふわした甘いトレンチコート持ってくるからだろうが」
「パンツスタイルでも似合うと思います!」
「いや、無理だろ」
粘ってはみたが、なんとなく彼女が断ることはわかっていた。
「しかたがない人ですね」
メイク道具の隣に置いてある日焼け止めクリームを手に取った。
彼女の腕に、クリームを乗せていく。
「ひぃあっ……!?」
なんで声を出してくれるんだ。
危うく、俺の理性と腕に乗せた日焼け止めクリームが溢れ落ちるところだった。
反射的に引っ込めようとする彼女の腕を、手で掴んで止める。
「冷たくはないでしょう?」
「ビ、ビックリしただけ」
「ふっ。そうですか」
ムラにならないよう気をつけながら、日焼け止めクリームを彼女の両腕に塗った。
「あとは、こちらを」
トレンチコートと一緒に持ってきていた、サングラスとツバの深い黒の帽子を手渡した。
「それから、UVカットのパーカーです。これならジーパンも馴染むでしょう?」
「……まあ……」
矢継ぎ早に押しつけられてい黒々とした日焼け止めグッズに、彼女はたじろいでいる。
勢いにまかせ、個包装された黒いウレタンマスクもおまけしてみた。
「ついでにこれもどうぞ」
「えー? マスクも?」
「イヤですか?」
「だって、せっかくメイクしたのに……」
「メイク移りしにくい素材みたいですよ?」
「そういう問題じゃないのに」
彼女は不服そうに頬を膨らませた。
ブツクサと文句を言う割には、彼女は比較的素直にマスクをする。
小さめを選んだのだが、やはり少し大きかったようだ。
彼女の顔半分がすっぽり覆われてしまう。
「キッズ用にすればよかったです」
「さすがにふざけんな」
マスクでそのプリプリしたほっぺたが隠れてしまうのは、確かにもったいないかもしれない。
ツンツンとマスクの上から柔らかな頬を突いて遊んでいると、鬱陶しそうにした彼女に手を払い除けられた。
「れーじくんって極端だよね」
「どういうことです?」
「ロリコン趣味かと思えば、文句言うとすぐ黒ずくめにするじゃん」
ロリコンって……。
その言い方、なんか嫌だな。
とはいえ、そこを引き合いに小競り合いをする気分でもなかった。
「あなたに関しては見目がなんであれ、かわいいを天元突破していますからね」
ぶっちゃけ、露出が多くなければ彼女がどんな服を選ぼうが、俺から口を出すつもりはなかった。
身なりのTPOに関しては俺なんかよりもきちんとわきまえているし、心配もしていないし、信用もしている。
彼女のかわいさを閉じ込めていたい欲はあるが、そこはまた別のベクトルの話だ。
俺の好きな彼女が、好きなように着飾る。
彼女が着飾れば着飾るほど、キラキラと輝きを増した。
気分まで上がって上機嫌にニコニコする彼女を近くで堪能できる。
こんな贅沢なひとときはなかった。
「あなたがきれいに輝いていく過程を間近で堪能できる権利のほうが、俺には魅力的です」
「ふーん……?」
ありのままにオシャレをする彼女こそが俺の理想だというのに。
まるでわかっていない顔をして、首を傾げた。
わざわざ俺の好みに合わせる必要すらないほど、彼女は今日もかわいい。
「さあ、準備できてるなら行きますよ?」
「あ、待って。スマホ……」
充電していた携帯電話を鞄に入れて、彼女が俺の隣に並んだ。
「ほかに忘れ物はないですか?」
「大丈夫」
彼女が深々と黒い帽子をかぶって、サングラスをする。
彼女の細い指を絡めて、俺たちは家を出た。
5/21/2026, 9:03:37 AM