その日はお母さんの機嫌が良くて、遊園地に連れて行ってもらう約束だった。
おうちを出てから真っ直ぐ。長い坂を降りたところに、最寄りの駅があるんだって。わたしは学校に通う以外で外に出ないから、知らなかった。
下り坂は怖い。そのまま前に転がるんじゃないかって、ビクビクして歩幅が狭くなる。
早くしなさいって、お母さんに何度か言われた。急かすばかりで、手を繋いではくれない。
いつもなら、お出掛けするときは、お父さんの運転する車に乗る。だけど、今日は『女の子だけの会』だから、お父さんには内緒。お母さんがそう決めた。
そのはずなのに、駅で知らない男の人が声をかけてきた。
「なんだ、そのガキ」
「娘がいるって、前に言ったじゃない」
「聞いてねぇし、めんどくせぇ。お前とはこれで終わりだ」
男の人はそのまま去って行った。
「あんたがいると、私の人生が滅茶苦茶だわ」
眉間にシワを寄せてわたしを見ている。いつものお母さんに戻っちゃった。
「……トイレに行ってくるから、私が戻るまで動くんじゃないわよ?」
わたしが返事をする前に、お母さんは急ぎ足で行った。
私はずっと待っていた。その間に通り過ぎた電車は五本。ここは田舎だから、一時間に一本しか来ないって、お父さんが言ってた。
わかってる。お母さんは戻って来ない。でも、動くなって言われてる。わたしはいつもお母さんを怒らせるから、ちゃんといい子で待ってなきゃ。
「お嬢さん。こんな所でなにしてるの?」
顔を上げると、お父さんの親友がいた。この人は、あだ名をたくさん持っていて、なんて呼べばいいかわからない。お母さんはゲボクって呼んでた。お父さんは……なんて呼んでたかな?
「お母さんを待ってる」
「一緒に待ってもいい?」
「いいけど、ゲボクさんが退屈しちゃうかも」
「ゲボクはやめてくれないか」
「なんて呼べばいいの?」
「おじさん、とか」
おじさんは無口だけど、隣にいてくれるだけで安心する。不思議な人だなぁ。
お父さんが話してた気がする。おじさんの隣にいると、すっごく眠くなるんだって。それ、わかるかも。わたしも、とても眠たくなってきた。
「駅で寝たら風邪引くよ」
「待ってなきゃ。お母さん怒っちゃう」
「風邪引いて病院に行くほうが、お母さんはもっと怒るんじゃない?」
「……そうかも」
「じゃあ帰ろう?」
「うん」
「眠いなら、おんぶしようか?」
「ううん。歩く」
おじさんは足が長いから、おんぶしたほうが早いと思う。それでも、一歩一歩をわたしに合わせてくれる。その優しさが嬉しい。
どきどき止まって見せると、おじさんも止まってくれる。お母さんなら、先を行ってしまうのに。
おじさんとは離れてしまわないように、ずっと手を繋いで、おうちまで続く坂を上った。
3/20/2025, 1:55:39 PM