冷瑞葵

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ただいま、夏。

 昨日のお題で下書き書いてたのに投稿忘れててプチショック……。ま、気持ちを切り替えていきます。
 お題にある「ただいま」は現在という意味なのか、あるいは挨拶なのか。素直に考えれば前者だろうがせっかくだし後者で考えたい。
 「ただいま」を挨拶だとすれば、「夏」は家でお留守番をしていたのだろう。「夏」を人の名前と考えることもできるけれど、ここでは夏という概念そのものとして扱ってみる。
 私は周囲の環境が夏に変化していくものだと思っていたけれど、帰る場所として存在している四季の1つの中に私たちが向かっていくとも考えられるのだろうか。夏は私たちがやってくるのを未来でずっと待っていてくれているのか。だとしたら最近暑くなるのが早いのは夏が私たちを恋しく思っているからかもしれない。それならちょっと可愛く見えてくる――ことはない。暑いものは暑い。
 もう少し考えてみよう。「ただいま、夏。」が台詞だとしたら、「夏」の存在は話し手にとって家族というより恋人やペットに近い気がする。家に帰宅したときに相手の名前って基本的には呼ばないと思うのだ。相手が恋人かペットか、あるいは幼子でもない限り。
 そうすると、夏は私たちにとって愛しい存在なのか? 少なくともここ数年の感覚で言うと答えは否になってしまうな。仮説ははずれたか。
 あぁ、先ほど「家に帰宅したときに相手の名前って基本的には呼ばないと思う」と言ったけれど、名前を呼ぶ例を新たに1つ思いついた。宣戦布告。同郷の宿敵に会ったときも怒りを込めて名前を呼ぶ気がする。帰宅というよりは思い出の地で再会を果たしたときの挨拶として。
 仮に人間たちが夏を敵と捉えているとして、夏のほうは私たちをどう思っているんだろう。敵意はないんじゃないかな。無邪気な悲しき怪物というイメージが合う。「ただいま」と言われてさぞ喜んでいるんだろう。その真意にも気づかずに。
 着地点がわからなくなってきた。今日も暑い。いつか「さよなら、夏。」と言える日を心待ちにしている。これを今日の締めの言葉とさせてもらう。

8/5/2025, 4:24:06 AM