好きだった時期もあった。
いや、あれを「好き」だと形容するのはおぞましいだろうか。
母を受け入れられなくなったのはいつからだろうか。
幼稚園で描いた母と私が手を繋いで並ぶ「家族」が題の絵。それを仕事から帰ってきたばかりの母に嬉々として渡す私の姿は、どれほどみじめで愚かで、むごかったのだろうか。気づきも出来なかった目の下に浮かぶ隈と口の端を釣り上げて笑う母の相好がどうにもこびりついて取れない。私が寝静まった後にやつ当たるように絵をクシャクシャにする母は、いつしかその姿を私に隠さなくなっていった。それでも母の後ろを追っかけ、ついにその愛情が倒壊したのは彼女が私に金切り声を浴びせた時だ。
無償の愛、とは一般に親から子への愛情だと言われる。
ただ、自分で言うのもなんだが、あの頃の愚かな私こそ、無償の愛に溢れていたのだと思う。私が彼女に愛を積み立てていくほどに愛の足場は不安定になり、がたがたと揺れるそれが倒れ崩れるのを心から恐れながらも彼女に愛情を積み上げ続けた。
無償の愛。「見返りを求めない」という点では美しいが、それはあくまで自己犠牲を伴う愛であった。私は自分を不安定にすることを代償に、愛を積んだ。
ただもう、好きにはなれない。1度崩れることを知った私はこの先何かに愛を積むことはできない。
でも、積み上げたジェンガは消え去ったわけじゃなかった。
崩れ落ちた残骸はバラバラの状態でもう揺れもしない足場に無様に落ちている。見たくもないその残骸を、私は、掃除することができずにいる。心の中の私はただ足場のそばで座り込んで、いつか誰かが、いや、彼女がその残骸を拾い上げ積み直してくれることを泣きながら待ち、残骸を見つめ続けている。
嫌いに、なれない。これは私が彼女の腹から産まれたときにかけられた呪いだった。彼女によって崩されたジェンガは彼女にしか直せない。誰かが直したところで、私はただ、吐きそうになりながらジェンガを倒すしかできないのだ。
4/29/2025, 10:23:22 AM