"鐘の音"
バグスターを倒した後それぞれ帰路に着き、俺も帰ろうと踏み出した時
──ゴーン、ゴーン
という重厚感のある高音が遠くから聞こえてきた。この方角は…あの時計塔か。幼い頃に1度だけ訪れた事のある大きな広場、そこに聳え立つ大きな時計塔が浮かんだ。あの鐘の音が聞こえたという事は、あの広場があるのはこの辺りだったのか。少し懐かしくなって鐘の音がした方に向かって歩いていく。
懐かしいな、全然変わってない。この広場で遊んだ記憶は薄らとだが、広場にある遊具や草木は記憶の中のこの広場と何ら変わってなかった。見て回るとポツポツとあの頃の記憶が蘇ってきて、自然と顔が綻んでしまう。少し見て回った後広場の少し奥まった所に聳え立つ、目的の時計塔に向かって歩いた。
高さはビルの3階分に相当するだろうか、しっかりとした土台で立ちレンガ造りのレトロな外観で周りの木と同じくらいの高さの所に大きなアナログ時計が嵌め込まれ、塔の最上部には黄金色に輝く大きな鐘がぶら下がっていた。
この時計塔は鮮明に覚えていた。大きくて広場に立つ姿がどっしりと構えている様で、時間になると綺麗な音を遠くまで届けて、まるでここの広場の守り神みたいだな、とちょっと憧れてた。こんな大人になりたい、と漠然とした夢。そこから医者に変わってった。この時計塔は俺の夢の原点だった。
「…俺、なれてたかな?、あの時、この時計塔に憧れて見た、理想の大人に…。」
僅かに震えた声で小さく呟く。その後に夢見た医者にはなれたが、自分の力不足で二度と医者として胸を張って進むことが出来なくなった。だから、もし医者になった、更に向こうで成せるのが最初に夢見た"理想の大人"だとしたら、もう二度となれないかもしれない。そう思うと不意に鼻の奥が、ツン…と痛んで思わず時計塔を見上げていた顔を下げて、時計塔から体ごと背ける。なんだか空気が重くて苦しくて、早くこの場を立ち去りたくなった。
もう帰ろう…。そう思って目を開けると、花が視界の端に入った。その花に目を向けてよく見ると青紫色の花弁を、1輪にあの時計塔の鐘のような形で5〜6枚開いて咲く、とても綺麗な花。名前の知らない花だが、なんだか、語りかけられている様な、鼓舞されている様な…。何と語りかけられているのかは分からないが、何かを感じ取って自然と背筋が、ピンッと真っ直ぐになり、胸を張るよう腕を体の真横に伸ばし、視線が上を向いた。なんだかまるで時計塔に叱られたような気分だ。懐かしんでいたと思ったら、急に辛気臭い顔になって背を向けた俺を見て『しゃんとしろ』と。
こんな歳になっても叱られる事があるのか、しかも人じゃない何かに。そう思うと、さっきまでの自分が情けなく同時に少し可笑しくなって、ハッと乾いた笑いが漏れた。背を向けた時に感じた重苦しい感覚は無くなって、今度は堂々とした軽やかな足取りで時計塔の前を、この広場を後にして今度こそ帰路に着いた。
完璧でなくてもいい。あの時夢見た"理想の大人"に、1歩でも近付くのだ。1歩ずつ、着実に。今度は胸を張って再びあの時計塔に、"夢の原点"に会いに来るために。
8/5/2023, 11:43:43 AM