薄墨

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「今日ノ心模様ヲ オ答エクダサイ」
無機質な音声を耳の端に聞き流しながら、スープの中の半透明な玉ねぎを啜る。

窓際の萎びた観葉植物の、腰の折れた葉の先に、その音声を発した主は、置かれている。
AIの出す音声質問に、声で答えるだけでその日の日記を書いてくれる、自動日記だ。
私がその日記を使い始めてから、一年が経つ。

私はあまり褒められた人間じゃない。
継続力は皆無で、いろんなことを途中で諦めてきた。
積極性は何に対しても発揮されず、誰かと関わることも努力することもない。
意地とプライドだけが高くて、人に頼ることも難しい。

だのに、メンタルは貧弱で、ネガティブ思考。
おかげで自分の感情もよく分からず、惰性で生きている。

私の気持ちが他の人より弱いのも、このままじゃダメなことも、私には充分わかっていた。
だから自分で感情をメモしたり、日記をつけたりして、自分で自分を管理しようとした。

結論から言うと、ダメだった。
継続力に欠け、努力が出来ない私に、定期的に何かを続けるなんて出来るわけがないのだ。
今度こそ、自分から望んで始めたことなのに、いつものように三日坊主になった朝。目の前が真っ暗になった。

貧弱な私のメンタルは下振れた。
いっそ、自分なんて死んでしまえと思った。

その様子を見た周囲の人たちによって、私は、心療内科に担ぎ込まれ、こうして自動日記をつけることを義務付けられた。
自動日記は律儀なものだ。毎日、同じ時間に、しっかりと私の話を聞き、心情を捉えて、私の今日の生活を残してくれる。

そして、これならどうにか、私でも続けられている。
…えっと、そうだ。いつもの質問。今日の心模様についてだ。

「…っと、くもり、かな」
私は日記に告げる。
「曇 5週間連続デスネ  デハ 今日 印象ニ残ッタ出来事ナドアレバ オ聞カセクダサイ」
「えっと…っと、」
私は答える。いつも通りに。

答えながらいつも頭を掠めるのは、これでいいのか、ということ。
日記が、今日の心模様が、毎日残るということは、日々の生活が残るということで、私が生きているということが、私の感情が、存在している実感が、残る。
死にたいで頭がいっぱいになることも減った。
自動日記のおかげで、私は人間に近づけたと思う。

でも、本当にこれでいいのだろうか?
何が引っかかっているのか、私は何が不満なのか、それすら分からない。言葉には出来ない。
…でも何かが、何処かが、このままではダメな気がする。

だから、今日も私の心模様は曇空。
薄灰色の雲が一面に立ち込めている。

「オ疲レ様デシタ 回答アリガトウゴザイマス ソレデハ 本日ノ 日記ノ制作ヲ 開始イタシマス」
自動日記が沈黙する。
私は、灰色の心から目を逸らすために、もそもそと夕飯をかきこみ始める。

窓の外は綺麗な夕焼けだった。

4/23/2024, 1:07:27 PM