逆井朔

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お題:狭い部屋
(とても強い地震の描写があります。緊急地震速報も鳴るような地震です。また、後味が非常に悪い作品です。
こうしたことが苦手な方は、どうか閲覧はお控えください)


 それはちょっとした出来心のつもりだった。
「あれ、浩史(ひろし)いなくね?」
 がら、と俺の側の引き戸が開く音がした。
 多分この声は航大(こうた)だな。忘れ物を取りに戻る、と言って下駄箱から引き返した俺がいつまでも帰ってこないから、心配してくれたのだろう。根が優しいやつなのだ。
 いい奴を騙すのは気が引けるけれど、軽く脅かしてネタばらしして、謝ったらアイスの一つでも買って許してもらおう。たまにはこういう趣向もありだろ、あり。
 俺は教室の廊下側の隅にある、掃除用具入れの中にこっそり隠れていた。埃っぽくてカビ臭い、小さな密室だ。
 正直、どれだけ金を積まれても、こんな場所に長居はしたくない。
 狭い場所なので、自分のバッグはさすがに自分の机の上に置いてきていた。窓際の一番後ろの席だ。その荷物に気づいたのか、航大がぶつぶつ呟いている。
「やっぱ此処に来たんだよな。でも荷物だけここにある。なんでだ……?」
 それは、お前を驚かすためだよ、バーカ。
 最近流行りの『モニタリング』ってやつだ。別の言い方をするなら『ドッキリ番組』みたいな。
 別に俺はテレビ局の人間でもなければユーチューバーでもティックトッカーでもない、ただの一般人だ。なので、これは普通に友人をびっくりさせてげらげら笑いたいだけだった。
「トイレか? スマホ鳴らしてみるか」
 残念ながら、スマホはバッグに「敢えて」入れっぱなしである。
「えっ、まじかよ。スマホまで置いてくなよな」
 暗闇の中、ほんの少しある隙間から、困り顔の航大がちらりと見えた。
 やっべー、めっちゃくちゃ声に出して笑いてぇ。
 ふすー、ふすー、と、呼吸音がつい大きくなりそうになって、慌てて口元を手で覆った。まだ正体を現すには早い気がするし、相手に先に気づかれたら負けな気がする。
「はー、どうしたもんかな。あともうちょい待っても現れなかったら、メールでも入れて先に帰るか」
 軽く天を仰いだ航大が、俺の席の所へ歩み寄っていく。
 そのまま通り過ぎて、窓の側まで近づいた航大が外を眺めだした瞬間。
 耳障りで不穏な音が重なり合うように鳴り響き出した。人工的な音声が「地震です」と告げている。
 やばい、逃げなきゃ。
 その瞬間、床からぐわりと持ち上がるような、突き上げられような、強烈な揺れを感じた。今までに経験したことの無い、異様な揺れ。
 がしゃ、がしゃ、バリン、ぐわん、様々な音が木霊するように外から聞こえてくると共に、床がぬるぬると横滑りしている。
 不幸中の幸いなのか、この学校の掃除用具入れはしっかり壁に固定されているらしく、急に倒れたりするようなことは無かった。
 ややあって揺れが少しだけ弱まってきた。今がチャンスだ、早く出ないと、と手で押しても、掃除用具入れの扉はびくともしなかった。
 おい、まじかよ。
 茫然としながらも、ああそうか、そういうことか、と得心がいった。
 これ、丸っきり、うちのトイレと一緒だわ。
 我が家の二階のトイレは完全には閉められない仕様だ。元々そうだった訳では無い。東日本大震災の時の激しい揺れにより、トイレの扉の枠が歪んでしまい、うまく開け閉めできなくなってしまったのだ。母が昔そう教えてくれた。その時トイレの中にいた母はあわや閉じ込められそうになったらしい。なんとか頑張って押したり蹴ったりして、ようやく出られたという。
 この辺は震源地からだいぶ遠かったのに、それでもそんなに影響があったのか、と幼い子どもながらにビビったものである。
 でもそうだ、ここには航大がいる。俺が出られなくても、声を出せば航大が気づいてくれるはずだ。
「おい、航大! 聞こえるか、浩史だ!」
 どん、と掃除用具入れを内側から叩きながら大声を出した。ぐわんぐわんと横揺れは続いていて、身動きも取れず臭い密室の中にいる俺にはかなりきつい状況だったが、航大が側にいてくれることだけが救いだった。
 すぐに返事があると思った。だが、返る声は無い。家具やら何かが擦れて揺れる音と、この狭い部屋の中のモップやバケツなどが立てる音だけがやけにうるさかった。
 ああそうか、こんなところに俺がいることに、驚いているか、納得がいっていないかなのだろう。
「悪かった。ちょっとお前を驚かそうと思って、俺、掃除用具入れに入っちまってさ。そっちにスマホも置きっぱなしだし、扉は固くなっちまって開かないし、お前だけが頼りなんだよ」
 今度はさっきより大声を張り上げ、強い音を立てて俺を取り囲む壁を叩いた。しかしそれでも、何の応答も無い。
 まさか。
 はっとした。
 大きな揺れの直前、あいつはどこにいた?
 そして、さっきまでは隙間から覗いていたあいつが、なぜ今は見えない?
 視線を暗闇の中に空いた隙間から左へとずらしていく。
 窓ガラスは粉々に割れていた。俺の席の辺りまで飛散している。
 少しずつ隙間の下の方へと視線を移していく。
 一部しか見えなかったが、うつ伏せになった身体が見えた。その背中には、ガラスの破片、が、大量に突き刺さって、いて。
 多分、あいつ、動いて、ない。
 気づいた瞬間、絶叫していた。
 俺がこんな馬鹿なことを考えなきゃ、少なくともあいつは背中にモロにガラスを浴びずに済んだのではないか。
 玄関からそのまま外に出て、階段を下りて、校門のあたりまでは出られていたのではないか。そうしたら、怪我をするにしても、こんな、酷いことには、ならなかったのではないか……。
 自分が助からないかもしれないこと以上に、友人の命を奪う原因になってしまったことの方があまりに耐えがたく、許しがたかった。
 嘘だろ、夢だって誰か言ってくれよ、なぁ、おい。

***

執筆時間…1時間

【余談】
隠れた後、殺人鬼に友人が襲われ、臭くて一刻も早く出たかったはずの密室から、とても怖くて出られない…というのを初めは考えたのですが、昨日の緊急地震速報に一月のことや東日本大震災のことを思い起こしたため、こちらの内容にしました。
どちらの内容にしても、後味が悪いことには変わりありませんね……。お目汚し失礼しました。

6/4/2024, 2:52:18 PM