光に溢れた世界など、昔は知る由もないものだった。
魔物であり、おまけに日光に致命的に弱い。吸血鬼である自分にとって、昼間の活動などあり得ない。
人間と、人の為す世に興味を惹かれ、一族から離反したその後も、夜の闇に紛れて生きることが当たり前で。
キラキラとした輝きなどとは一生無縁だと思っていた。
けれども、生き永らえる中で時代は進み。
光を避けて引きこもった生活でも、あらゆる情報が手に入る世となった。
絵画や写真に留まらず、テレビにパソコン、スマートフォン。
それまでは知識だけで目にしたことのなかった昼間の世界を、文明の利器のお陰でたくさん知ることになったのだ。
今も事務所に設置された大型テレビの画面では、日が昇り始めた朝焼けの様子が映し出されている。
暗い街並みに、少しずつ柔らかな日の光が当たってゆき、暗がりの中で静かに動き始めていた人々が徐々に暴かれる。一日の始まりを予感させる、リアルタイムの静かな風景だ。
生身では体験出来ない美しい情景に、ソファーに寝そべったまま、思わずぼーっと見惚れてしまっていた。
僕がくつろぐこの事務所の中に、光が差し込むことはない。
全ての部屋に、相棒が用意してくれた遮光カーテンが二重に仕込まれていて、万が一も無いように、完璧な根城にしてくれているからだ。
抜かりの無いパートナーで有り難いことだ。
いざとなれば僕の方が強いのに、そんなに至れり尽くせりで過保護に守られたら、ちょっとした好奇心が疼いてしまう。
分厚いカーテンで隔てた窓の向こうには、テレビに映るのと同じような、朝焼けに染まる街が広がっている。
日の出から間もない今の時間ならまだ日も高くなく、薄ぼんやりと照らし出されたビルが建ち並んで居るはずだ。
この目でそれを、見てみたい。
少しくらいなら、カーテンの隙間からちらりと眺めても良いだろうか。
ソファーからのそりと起き上がって、近くの窓際へと歩み寄る。
わくわくと、芽生えた好奇心に突き動かされ、閉じたカーテンの端に手を伸ばした。
けれども。
「何、してるんだ!」
僕とカーテンの間に割り込むようにして。背後からだだだっと駆け込む音と共に、相棒の彼が僕の前に滑り込んだ。
走った勢いに流されて、窓辺のカーテンがゆらりと重たく揺れる。
目くれ上がった向こうには、お望み通りに事務所の窓。
しかしながら、その先に見えたのは外の景色ではなく。ご丁寧に雨戸まで閉じて遮断された無機質な窓があっただけだった。
何だ。そっか。そういえば、そうだったっけ。普段自分が開け閉めをしないのですっかり忘れていた。
僕のために、想像以上に万全な守りを固めた相棒に、天晴れと称賛を送りたい。
いやあ、凄いやこれ。用心深い性格なのは知っていたけれど、ここまでしてくれてたなら完璧じゃん。
「おい。何がっかりしてやがる」
窓とカーテンをしげしげと見詰めていたら、至近距離で彼に睨まれた。
その額には怒りの青筋が浮かんでいる。
あ、不味い。感心する気持ちの影に隠れて、外を見られなくて残念がっている心まで見透かされていたようだ。
彼の努力に背いて、軽率にもカーテンを暴こうとした僕が悪いのは決定的。
反省の念はあったけれど、怒られるのはちょっと怖い。
怒りの直撃を免れようと、せめてもの足掻きで、彼の前からじりじりと後ずさった。
へらりと笑って、彼を拝むようにして頭を下げる。
「ごめんごめん! いやあ、テレビの風景があんまりにも綺麗だったからさ。ひょっとして、この事務所から見える朝の景色も、あんな風に綺麗なのかな~って知りたくなっちゃって。馬鹿だよね、本当ごめん!」
一息に謝って、ちらりと彼の様子を伺った。
てっきり、すぐさま罵られると覚悟していたのに、意外にも彼は黙ったままで。
しばらくの間、苦虫を噛み潰したような顔で僕を睨み続けたかと思うと、急にふっと脱力して、頭を抱えてへたりこんだ。
「え! 嘘、大丈夫?」
「大丈夫じゃねーよ。ふざけんなよマジで。本当、この馬鹿!」
びっくりしてこちらもしゃがみこんだら、目線が合ったところからじろりと再び睨まれた。
その眼力にたじろいで、助け起こそうと伸ばした手が宙を惑う。おお、怖い!
びくつく僕に彼は呆れると、今度は力一杯ため息を吐いてそっぽを向かれてしまった。
そうして力無く僕を小突くと、悪態とともに吐き捨てるようにして呟いた。
「おまえ、強いくせに、肝心なところで何でこう阿呆なんだよ。俺、嫌だぜ。うっかり灰になったおまえ見付けるのなんか」
「ご、ごめん!」
静かな彼の言葉にドキリとした。
思いの外、僕の体質のことで心配をかけさせていたのか。
そりゃそうか。そうでなかったら、毎日カーテンに雨戸にと手間をかけてくれるはずがない。
無愛想のようで優しい性格なのは承知していたのに、その性格に甘えすぎていたことに気付かされた。
「本当に、ごめんなさい」
申し訳無い気持ちでいっぱいになり、姿勢を正して、そのまま這いつくばるようにして頭を下げた。
「おいおい、そこまでしろなんて言ってねえのに」
土下座のスタイルになった僕にぎょっとして、慌てた彼が僕を起こしにかかる。「馬鹿だなあ」と言って笑う彼に、もう怒っている気配はない。
もっと叱ってくれて当然なのに、お人好しな彼も甘い。
「ううう。これからはもっと気を付けます」
「どーだか。その言葉に騙されて、散々ヒヤヒヤさせられてきてるからなあ」
「う! 返す言葉もございません」
縮こまる僕が可笑しいのか、ついに彼は吹き出した。
「あ~腹減った。朝飯食べようと起きてきただけなのに、とんだ馬鹿のせいでぺこぺこだ」
立ち上がった彼が振り返り、にやりと笑って付け足した。
「何か作ってくれるよな? 相棒」
いたずらっ子のような表情に、釣られて僕も笑い返す。
「まっかせて! とびっきり美味しい朝御飯作っちゃうから。ふわふわオムレツ、期待してて!」
勢いをつけて立ち上がり、そのままキッチンへ勇み駆け込めば、後ろから「でっかいのよろしく~」と彼の声が追い被さった。
その声に応えるように、エプロンのリボンをぎゅっと縛って気合いを入れる。
いつも迷惑をかけて、ごめんね。
朝から面倒をかけたお詫びを込めて、誠心誠意作るから。
今度こそ楽しい朝の始まりを。
外の景色に負けない、穏やかな時間を。
君と一緒にやり直そう。
こんな馬鹿な僕だけど、これからもどうぞよろしくね。
(2024/10/16 title:059 やわらかな光)
10/17/2024, 9:57:54 AM