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「巡り逢い」とは、何とも不思議な形容詞だ。
輪廻転生信者や仏教徒ばかりか、神は居ないと嘆く現実主義者ですら、それを神格化している節がある
人間社会という集団の中で生活する私たちにとって誰かと逢うことは必須事項だ。
私は私という人生しか知らないが、もし仮に貴方や君、彼らや倅にも人生があるとして、そして、その人生を「巡る」と呼ぶとすると
人と人が会う、当たり障りのない日常の様を「巡り逢い」と形容する
不思議でならない。しかし、心のどこかで素敵だと感じている
何故だろう
日常の一部のシステムを神格化するのは、一種の現実逃避と言えるし、正当化とも言える
あの形容詞を使う彼らがあくまでそう捉えるのは「巡り合った」相手を見てだ。
自分そのものは見ない。
無機質な日常に気づきながら、その一つ一つを「巡り逢い」のような形容詞で飾り立てる遊戯を毎日のようにする彼らを私は無言でいつも見つめている。
「彼らと私は同じでわない」そうハッキリと言えるし、その遊戯を自分に向けて欲しくは無い
が、
飾り立てようとする感情に共感している以上
私はもしかしたら、彼らも自分と同じだとまた感じているのかもしれない
私は思う こんな「巡り逢い」はごめんだったと
けど、わかっているこれが集団で、群の定めだと

4/24/2025, 11:22:32 AM