「久しぶり。会いに来ちゃった」
そう言って、友人はいつもと何一つ変わらない笑みを浮かべて手を振った。
知らない場所。気がつけば小さなお社の前に立つ友人と対面していた。
空は暗く。けれども等間隔に並んだ灯籠の仄かな灯りが周囲を照らしているおかげで、闇に戸惑う事はない。
「ここは?」
「私の一番最初の記憶。それを再現した夢の中」
夢。ここは彼女の夢なのか。それならばここにいる私は、彼女の作り出した幻なのだろうか。
それにしては、やけにはっきりとしている意識と感覚に困惑する。
そんな私の様子に、友人はごめんね、と呟いた。
「あーちゃんの意識をつなげてもらってるの。時間が来るまで話をしようと思って」
「なにそれ。意味分かんない」
「ごめんね。私のわがままなんだ」
何を言いたいのか。その真意が見えない。
思わず表情が険しくなるが、それを気にする事なく友人はお社の上がり口に座り手招いた。
「来てよ。話したい事がたくさんあるんだ。夜明けまでは一緒にいよう」
笑みを浮かべる友人がどこか寂しそうに見えて、仕方ないと息を吐く。
手招かれるままに隣に座り、けれども視線は向けず、声もかけずに彼女の話を待った。
「私ね。前世の記憶があるんだ。ここで狐さんと約束したのが始まり。それから何度繰り返しても、私には狐さんだけだった」
前世、の言葉に胸がざわついた。
影の声が聞こえない不安と、彼女も同じだという安堵にも似た気持ちが混ざり合って、相づちひとつ出てこない。
「彩葉《あやは》が私の初めての友達なんだ。一人ぼっちでどうしたらいいのかも分からなかった私の側にいてくれたのは、あーちゃんだけ。あーちゃんがいたから、世界を知る事が出来た。たくさんを知れたから、きっと自分に素直になれた」
何を言えばいいのか分からず、友人に視線を向ける。同じようにこちらを見ていた彼女を視線が混じり合い、ざわつく胸が苦しさを訴えた。
何故だろう。その先の言葉を、聞きたくないと思う自分がいる。
「紺《こん》。私は何もしてない。私は、」
「大好きだよ、私の親友。ずっとありがとうが言いたかったんだ」
彼女の言葉はまるで別れを前にしている者のそれに似ている気がして、縋るように手を伸ばす。
拒まれる事なく重ねられた指先が、思っていたよりも冷たくて。それが恐くて、離れないようにと指を絡めて握った。
そんな私に彼女は普段とは違う優しい顔をして、彩葉、と静かに名前を呼んだ。
「少しでもいいから恩返しがしたかったの。彩葉の助けになりたかった。でもそれは私のわがままだから。ごめんなさい」
「意味が分からない。紺は私に何が言いたいの?」
繋いだ手を軽く引いて、言葉を止める。
私の助けになりたいと言いながら、それはわがままだと言う。それがとても怖い事のように感じて、否定してほしくて彼女を見る。
いつも聞こえている、今は聞こえない声が恋しいと思った。
「私は彩葉に生きてほしい。それが彩葉にとって別れを意味する事だとしても、それでも今を私と生きてほしいの」
「それは、」
言葉に詰まる。
胸が痛い。息が苦しくなる。
けれどそれはいつも感じている、溺れているような感覚ではない気がした。
「彩葉の前世がどんなものだったのか、私には分からない。私にとっての狐さんのような、大切な存在がいるのかもしれないし、それが彩葉の後ろの誰かなのかもしれない。そのすべてとさよならをして今を生きてなんて、すごく酷い事を言っているのは分かっているの。でも私は彩葉と生きていきたいと願っている事を知ってほしい。それに、彩葉が生きるためにいろんな人が力をつくしてくれている事を、そのためだけに一人きりで生きてきた人がいる事を知っていてほしい」
息が苦しい。頭が痛くなる。
痛みに眩む視界で、誰かの笑顔が浮かんで、消えていく。
法師様。一緒にいた皆。両親。友人。
「あなたは生きないといけないわ」
「そうだよ。ちゃんと前を向かないと」
「彩葉としての生を謳歌なさい」
「それを法師様も、わたし達も、あの子だって望んでる」
聞こえた声に振り返る。
優しい顔をした影ではない、あの頃と変わらぬ四人の少女達の姿を認め、友人の手を離して駆け寄った。
「あぁ、ほら。泣かないの」
「相変わらず泣き虫だね。あの子とそっくり」
「だって。だって」
頭を撫でられて。抱きしめられて。笑われて。
止められなくなった涙を拭かれながら、だってを繰り返した。
逢いたかった。これが最後の別れになるのだろうから。せめて今までの感謝を告げたかった。
「ありが、と。一緒に、いてくれて。引き留めて、くれて」
「当たり前でしょう?あなたはあそこにいるべきではないのだから」
「もう大丈夫。わたし達はいないけれど、法師様はいるの。法師様をよろしくね」
手を握られ。肩を叩かれ。そっと背を押された。
目の前には、友人の姿。
ごめんね、と繰り返して、後ろにいる彼女達に声をかける。
「ちゃんと終わったんだ」
「えぇ。もうこの子が引かれる事はないわ。この子の事をよろしくお願いしますね」
もう一度背を押され、一歩友人に近づく。
差し出されて手を取り、もう一度振り返ると、そこにはもう彼女達の姿はなかった。
「迎えがきているみたいだったから。還れたと思うよ」
その言葉に頷きだけを返す。
止まらない涙を今度は友人に拭ってもらいながら、深く息をする。
泣く事しか出来なくなった私はまるで、生まれたばかりの赤ん坊になったみたいだった。
「私達も起きよう。そろそろ朝が来るから」
「朝?」
「うん。朝が来るなら起きないと」
見上げれば、夜空はいつの間にか白く染まっている。
夜明けが近いのだな、とぼんやりと考えながら、繋いだ手が暖かい事に気づいてなんとなく安堵した。
意識が揺らぐ。泣きすぎた事もあるが、きっと目覚めが近いのだろう。
「起きたら会ってほしい人がいるんだ」
「前に言ってた人?」
「ううん。もっと彩葉にとって大事な人」
誰の事だろう。はっきりとしない意識では、うまく思い出す事が出来ない。
「大事な、人」
「会ってあげて。その子もそれを望んでる」
大事な人。繰り返しながら友人を見て、空を見る。
朝焼け。赤に色を染めた空に。
何故だろう。夕焼けの朱を重ねて、帰らなければと、そう思った。
20240914 『夜明け前』
9/15/2024, 1:09:08 AM