与太ガラス

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 マキエに誘われてカラオケに行ったあの日から、少しだけ気分は晴れていた。これまで歌を聴きながら踊ったことのなかった私が、あの日はマキエが歌うのに合わせて夢中で踊っていた。気の置けない親友がいることがありがたかった。

 あれから部屋で音楽を聴いていても、ついつい体を動かしてしまう。その度にあの日のことが思い出される。

 でもなぁ。「ディ・ファントム」の曲、カラオケに入ってなかったなぁ。

 音楽ユニット「ディ・ファントム」は知る人ぞ知るジャジーヒップホップのグループで、世の中的には認知度の低い。あまり音楽に詳しくない私がなんで知っているかというと、その、一度深夜のアニメでエンディングテーマをやっていたのを聴いたからだ。

 もちろんその曲が大好きで、サブスクサービスで毎日リピートしていた。

 なんてことを思いながら、カフェでマキエが来るのを待っていた。いつものことだが、マキエは遅刻していた。マチビトハキタラズ。

 ふと店内のBGMがなじみのある音色に変わる。

 え?うそ?「ディ・ファントム」じゃない?

 思うより先に心が踊る。気づくと私は勢いよく立ち上がっていた。ガタッという椅子の音に店内の視線が集まる。店員さんが近寄ってきて、どうしましたか?と声をかけてきた。

「え、あ、その…」

 なんでもないです、なんでもないです。心の中で唱えるが頭と口は気が動転している。

「この、この曲っ、じゃなくてBGMって何をどこから流れてるんですか?」

 なに聞いてるんだよ、有線だよ、そんなん有線に決まってるじゃん。いや有線で流れてても嬉しいけど。

「あ、え、もしかしてディ・ファントム知ってるんですか?実はこれ、私が選曲したものをプレイリストにして流してるんですよ。なんか嬉しいなー、ありがとうございます」

 わ、え、え、こんなニッチな部分で趣味が合う人に出会えるなんて。しかもたまたま待ち合わせに指定されたカフェで。心が躍り続けている。

 この店員さん、見た目もさわやかな好青年だし、ちょっと運命めいたものを感じてしまう。

「あの、ディ・ファントムってすごくメロディがポップなんですよね。JAZZがベースなのにかわいいアレンジで…」

 やば、立ったまま話し込んでる。でも止まらない。

「そうそう、また歌詞が日本語にこだわってるっていうのもカッコいいんスよね」

 この時間がずっと続けばいいなどと、シンデレラのような気持ちになる。

 しかし12時のベルは無情にも鳴り響く。ディ・ファントムの曲が終わると、轟音のヘビーメタルが店内に鳴り響いた。

 わー、多彩な趣味をお持ちなんですね。

 ガラスの靴は砕けて散った。

10/10/2024, 12:13:34 AM