みかん

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『視線の先には』
 他人の思考を読んでみたい、と思ったことはないだろうか。
いまこの人が頭の中に渦巻かせている言葉は、私に思っていることは、秘めた思いは。
私は気になって仕方がなく、読心術が使えたら良いのに、と常に思っている。
 話は変わるが、私は人が本を読んでいる様を眺めるのが好きだ。
人が本に視線を落とすとき、目は細められ、若干伏し目のようになる。
その目の形がたまらなく好きだ。

そして私は考えついたのだ。
読書中の人間の思考のみ、読むことができるのではないかと。
まずここで使われる思考とはどのような意味を持つのか。私のここでの用法を示すと、「言語化された何か」だ。文章として成立していれば、何でも思考、とここでは表する。つまるところ、脳内を占める言葉である。
では、「読書中の人間の思考のみ読めるのでは」がどういうことかについて書かせて頂こう。
そう、読書中の人間の脳は本の言葉で占められる。つまり、そういうことだ。
その人間の視線の先、それがその人間の思考を示す。
しかし、読書法といえば良いのだろうか。それは千差万別らしいので、読書をしていても、脳内が本の文章で埋められることはない人もいるかもしれない。
だが、大抵の人は脳内で音読するような読み方をしているのではないかと思う。
ゆえに、大抵の人には通ずると信じたい。
「視線の先にその人の思考がある」
なかなかのロマンではなかろうか。

7/20/2024, 4:52:39 AM