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『懐かしく思うこと』

「忘れたくても忘れられない、そんな恋の話でも出来たらいいんだろうけれど、生憎そういうこととは縁遠くてね」

そう言って、月を見上げる人の横顔を黙って見ていた。

「なにしろ僕はほら、春が終わる頃には雪解け水になってしまうから」

異国の地で出会ったのは不思議な人で、そばにいると凍えるような冷気を感じる。
そのくせどこか人懐こくて、つい話しかけてしまった。

「東の国にね、素敵な蝋燭を作る子がいるんだ」

金木犀の香りの、淡く光る蝋燭なのだという。

「その蝋燭に火を灯すと、炎の中にいろんなものが見えてきてね」

見知ったもの、見知らぬもの、幼いもの、老いたもの、美しいもの、醜いもの。
不思議と、どれもが懐かしいのだと言う。

「もしかしたら、僕が忘れたくなくても忘れてしまったものを、見せてくれているのかもしれないね」

君にも一本あげよう、と彼は淡く光る蝋燭をくれた。

手にした途端に火が灯り、たくさんの物や人が次々と灯りの中に映し出される。


「人はそれを走馬灯と呼ぶらしい」


彼の言葉を最後に、私の意識が遠のいてゆく。

遭難した雪山で、凍えて動けなくなった私を見ても驚くことなく、最期まで付き合ってくれた不思議な人。
私が今、穏やかな気持ちでいられるのはこの人のおかげだ。

手の中で小さくなる蝋燭の灯り。
私がそれを懐かしく思うことは、もうすぐなくなる。

10/31/2024, 4:49:43 AM