南葉ろく

Open App


 ぼくの彼女は髪が長い。そして、とても綺麗だ。艶々で、ツルンとした黒髪を背中の中ほどまで伸ばした彼女は、凛とした佇まいでとても美しい。だからぼくはいつも彼女の髪を褒めていた。もちろん、髪以外も。彼女はとても素敵な女性なのだ。
 ぼくはたびたび、そんな彼女の髪を梳かしてもらっていた。梳かすといっても、普段から手入れの行き届いた上質の髪に一点の曇りもない。ないので、櫛通りもまるで空を梳かしたような心地で、櫛の必要すら無さそうな髪だった。
 あくる日、ぼくに稲妻が走った。だって。なんと。

 彼女が! 髪を切ったのである!

 その時のぼくの衝撃といったら。ショック過ぎて震えながら彼女に理由を問うと、彼女は少しだけ申し訳無さそうな表情を浮かべた。
「知り合いの子が病気で髪の毛が抜けちゃってね。その子、いつもわたしの髪の毛を褒めてくれてたから。わたしの髪の毛でウィッグを作ってプレゼントすることにしたの。……相談もなくやってごめんね?」
 その時、ぼくに稲妻が走った。二度目である。いや、だって。

 彼女が! あまりにも優しい!

 そんなの怒れるわけがない。いやそもそもぼくが勝手に執着しているだけで、彼女の髪を彼女がどうしようが彼女の勝手ではあるのだが。
 短くなってしまった彼女の髪はそれでもやっぱりとても綺麗で、そしてとても似合っていた。櫛で梳かすというぼくの楽しみは失われてしまったけれども。短髪の彼女もたまらなく美しいのだから、仕方がない。
 仕方がないので、ぼくは今日も彼女の髪を褒める。短いのも似合っているよの言葉も忘れない。実際似合っている。
 彼女の長い髪を梳くために買った、ちょっとお高い櫛の出番がしばらくは無いだろうことだけは、残念だけど。





テーマ「喪失感」

9/10/2024, 10:48:13 AM