『忘れたくても忘れられない』
「忘れたくても忘れられない出来事は誰しもあると思います。皆、話してみて」
心理カウンセラーのケイトの言葉で、自分の心の内を一人また一人と語り出した。
理不尽に叱られた怒りや、誤解されて誤解を解いたのに謝ってもらえなかった燻り、子供の頃にやらかしてしまった失態への恥ずかしさ……多くの人が負の感情を表す中、私は逆のことを語った。
――私には忘れたくても忘れられない人がいる。
それは若い頃にとても愛した人。苦しくなるくらいに愛したけど、その恋は叶わなかった。
二人でおじいちゃんおばあちゃんになるまで生きようねと語り合った十代の頃、何でも出来ると錯覚した。
親の権力がなんだ、身分違いがなんだと二人で駆け落ちしようと決めた。
しかし、やっぱりそう簡単ではなかった。
色々あって、彼は親の決めた相手と結婚をした。
「離れても君だけを愛している」
そう別れ際に伝られた言葉だけが拠り所だった。
でも、数年ぶりに見かけた彼は無理矢理結婚された奥さんと笑い合い、3人の子供の父親になっていた。
お腹の大きい奥さんは4人目を妊娠中だった。
彼に声をかけることは出来なかった。
私の事を愛しているといったのに、私のことはきっともう忘れているというくらいに幸せそうだった。
もう、彼の心は私にないのだと知った。
走って家に帰って沢山泣いた。
心が張り裂けそうになる中で、辛くて自ら命を絶ちたいとも思った。
でも出来なかった。
次の日は目が腫れがあったまま仕事にでた。
「恨みはないの?」
同じカウンセリングに出ていたエドが聞いてきた。
私は淡々と答える。
「最初は嫌だったわ。でも恨む程じゃなかった」
エドはそうかというように頷いた。
私は話を続ける。
――恨みはないけど、悲しかった。辛かった。
だって彼をまだ愛していたから。
でも時間とともに自分の中で納得するようになった。
仕方のないことだったのだと。
結局、私は誰とも結婚出来ないままこの歳になった。
彼のことは忘れたくても忘れられない。
「それじゃあ今日はこの辺で解散しましょう」
話し終えると丁度カウンセリングの時間が終わり、ケイトが解散を口にした。
皆が立ち上がって部屋を出る中、私は車椅子を動かしケイトに近づいた。
「ケイト、ちょっと良いかしら」
「はい、どうしました?テイラーさん」
「さっきの私の話なのだけど」
「あぁ、大丈夫ですよ。その……何もトラウマだけが皆さんの心理カウンセリングの必要条件ではないので。思い出話でも問題ないです」
「いえ、そうではないの」
私は、ケイトの腕を掴んだ。
「テイラーさん?」
「ケイト、ジョセフ・ハンスさんは元気?」
「え?」
ケイトは驚いた顔をした。
「ジョセフ・ハンスよ」
「……テイラーさん、私の祖父を知っているの?」
ケイトの腕を引っ張った。
「っ!?」
ひざ掛けに隠していた刃物をケイトの腹に刺した。
感触、伝わってくる熱い血液。何もかもが憎かった。
「テ、イラー……さん。何を……」
「ジョセフは私の生涯愛した人。彼に恨みはないけど、彼の奥さんは憎いわ。そして彼を奪ったあなた達もよ」
刃物を抜くと、ケイトは口をパクパクさせながら倒れる。
声にならないようで何を言っているのかはわからない。
「ケイト、私がなぜ心理カウンセリングに来たか知ってる?貴女がいたからよ。彼の奥さんの血を引く存在をやっと見つけたんだからね」
「っ、ぁ」
「何を言いたいのかわからないけど、消えて頂戴」
静かなカウンセリング室になった。
刃物をひざ掛けの中に入れ、動かなくなったケイトを置いて私は部屋を出た。
彼は私の愛する人。
忘れたくても忘れられない人。
彼だけ、私の心には彼だけなのよ。
創作 2023/10/17
10/17/2023, 12:09:28 PM