鏡の森 short stories

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#025 『置き土産』

 合鍵を返しに行ったついでに部屋をのぞいたら、案の定、酷い有様だった。
 机の上には空き缶とコンビニ弁当の空が置きっぱなし、ゴミ箱に向かって投げたのだろうゴミがゴミ箱の周りに散乱している。脱衣所には洗濯物が山積み。靴下もシャツも、裏返ったまま脱ぎ捨てられたものが何枚もある。
 当然のことながら、掃除機をかけた形跡もない。
 これは予想以上だったかも、と思ったら笑えてきた。年下だからとついつい甘やかしすぎたのを反省しながら、勝手知ったる室内を手早く片付けていく。もともと、片付けや掃除は好きな方だ。
 一時間後、すっかり綺麗になった室内を見回してニンマリ笑い、ふと思い立って冷凍庫を開けた。帰宅が深夜になった時、温めるだけで食べられるようにと一食分ずつ分けて冷凍しておいた数々の料理をすべて取り出し、片っ端から温めていく。
 食材がもったいないとは思ったけど、そもそも冷凍庫の中身を見もしないでコンビニ弁当を買ってくるような男だ。存在さえ忘れられたまま死蔵されていつか捨てられるより、少しくらいはマシな気がする。
 食べ残しを冷蔵庫に入れるなんて、きっとしないだろうな。でもそんなの、あたしの知ったことじゃない。
 冷蔵庫に食材のひとつやふたつ、入っているだろうか。そっと開けると、中には缶ビールが並んでいた。それも発泡酒じゃない、高めのやつ。
 よーく冷えた缶を左右の手に持ち、気がすむまで思いっきり振って冷蔵庫に戻しておいた。あいつが帰ってくるまで、多分あと一時間くらい。
 吹き出した泡に狼狽する姿を想像して、あたしはご機嫌で玄関へと向かった。どうか泡が落ち着いちゃう前にあいつが帰ってきますように。そしてスーツを脱ぎもせずに冷蔵庫に直行して、真っ先にビールを開けてくれますように!
 エレベーターで階下へ降り、「さよなら」と書いたメモで包んだ鍵を郵便受けに放り込む。
 これでおしまい、何もかも。最初から二股かけられてたなんて知らなかったあたしも、影で掠奪した女扱いされてたことを知らなかったあたしも。簡単に騙せるチョロい女扱いされてたあたしも、お節介な母親みたいに甲斐甲斐しく世話を焼いちゃうあたしも。
 初めての浮気に気づいたつもりでいたあたしも。
 さよなら、無邪気で素直なあたし。
 そしてバイバイ、クソ男。


お題/さよならを言う前に
2023.08.21/こどー

8/21/2023, 12:23:40 PM