sairo

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目の前の夏草が一面に広がる光景に、訝しげに眉を寄せる。

「――本当に、ここ?」

聞いていた話とは違う。
そう思い隣を見るが、ここまで案内をしてくれた彼は涼しい顔をして、ここだと肯定する。
さらに眉を寄せながら膝をつき、足下の草を掻き分けた。

「――ぁ」

草を掻き分ける指先が、硬いものに触れる。
摘まみ上げれば、それは砕けた陶器の欠片だった。おそらくは茶碗だったのだろうそれは、ここにかつて人の営みがあったことを示していた。
小さく息を吐き、立ち上がる。リュックを背負い直し、彼を見た。

「ひいばあちゃんのお友達の場所は分かる?それか、ここの墓地の場所」
「こちらだ」

こちらを一瞥して、彼は迷うことなく足を進める。

「ちょっと!待って」

生い茂る夏草を気にも留めず普段通りに進む彼の後を、草を掻き分けながら進んでいく。少しはゆっくり歩いてほしいと声をかけるも、彼は一度も立ち止まることはなかった。



曾祖母の葬儀のあと。
深刻な顔をした父に呼び止められ、仏間で小さな箱を差し出された。

「最期の願いを叶えてほしい」

箱の中身は、曾祖母の骨だという。
故郷に帰りたいと常に話していた曾祖母のために、分骨をしたらしかった。

「了承しろ。案内は俺がする」
「でも……」
「頼むよ。お前が一番、お祖母ちゃんに懐いていただろう?」


隣の彼に言われ、それでも決心がつかないでいれば、さらに父に拝み倒される。普段は声もかけないというのに、現金なことだ。

「お前以外、受け入れる者はないだろう。ここで了承しなければ、彼女の望みは永遠に閉ざされたままだ」

彼にそこまで言われては仕方ない。溜息を吐いて、箱を受け取った。
あからさまに安堵の表情を浮かべる父に思う所はあるものの、何も言わずに箱を手に仏間を出る。

「神様の怒りに触れた場所、だっけ?数年後に訪れても、草ひとつ生えてなかったって」

曾祖母の話を思い出しながら、彼に尋ねる。返事は期待していないから、ほぼ独り言のようなものだ。
彼はいつも、この話の時に何かを言うことはない。ただ曾祖母を見つめ、語り終え悲しく目を伏せる彼女の隣に寄り添うだけ。

「行ってみれば、すべて分かるだろう。お前は幼かった彼女と違うのだから」

珍しく彼から言葉が返ったことに目を瞬く。どういうことかと問いを重ねようとして、止める。
その場に行けば、すべて分かる。そういうことなのだろう。



立ち止まる彼に遅れて追いつき、同じように立ち止まる。

「――ここに埋めればいいの?」

他よりも夏草は生い茂ってはいない場所は、どこかの家の跡地のように見えた。
曾祖母が話していた友人の家だろうか。

「ここに埋まるものを掘り起こせ。瓦礫を避ければすぐに見つかる」

埋める場所への問いかけに彼は首を振り、逆に掘り起こせと言う。
多くは語らない彼に、小さく溜息を吐く。優しかった曾祖母のためだと自分に言い聞かせながら、草を掻き分け黒ずみ朽ちた木々を避けるため手に取った。

「燃やされてる?」

炭化した木片に眉を寄せた。
曾祖母から何度も聞いた話は、とても抽象的だ。
夜中に大きな音と光がして、驚いて飛び起きたこと。
母に手を引かれて外に出た時に見えた、赤い空。
大好きだった友人がずっと気にかかっていたこと。

――きっとね、神様を怒らせちゃったのよ。

悲しく笑う曾祖母を思い出す。
数年後、離れた故郷に戻ると、そこは草ひとつ生えぬ不毛の大地となっていたらしい。
家はすべて崩れ落ちて、黒々とした地面がどこまでも広がっている。
そこに友人が着ていた服の切れ端を見つけて、二度と会えないことを知って泣いたのだと、そう言っていた。

「これって……神様の怒りというよりはさ……」

曾祖母の生きた時代を思いながら、言葉を濁す。
元は家の柱だろう残骸を避け、その下から柱とは違う炭化した木片を認めて、胸が苦しくなる。
小さな、片方だけの下駄だったもの。彼が掘り起こせと言ったものはこれだろう。

「あの夜――」

不意に彼が口を開いた。視線を向ければ、晴れ渡る青空を仰いで彼は目を細めていた。

「幼い彼女はあの夜、空に神を見た。黒々とした翼を広げた、異国の神を」
「異国の……神……」

彼と同じように空を見上げる。
赤く染まった空を覆い尽くす、無数の黒く冷たい翼を持った神。
曾祖母を含めた僅かな人々は逃げ延び、曾祖母の友人のような多数は、その無慈悲な神に奪われた。
首を振る。下駄を手に立ち上がると、彼はこちらを一瞥し、先ほどよりもゆっくりと歩き出した。

草を掻き分け、彼の後に続く。
焼けて数年も草木が生えなかったという大地。それでも永い時間と共にどこからか運ばれた、あるいは眠っていた種が芽吹き成長する。
かつての悲しみを覆い尽くすように、夏草が生い茂る。

「神とは、無力なモノだ」

呟く言葉は、淡々としているのにどこか悲しげだ。

「彼女は村の終わりに神を見た。自身の新たな始まりに神を求めることはなかった」

風が吹き抜け、夏草を揺らす。
彼の銀に煌めく毛並みを撫で、かつて神社があっただろう方向へと消えていく。

「彼女の血に連なる者は拙い手つきで神を祀るが、それだけだ。何かを求めることはない」

彼は足を止めない。
彼の言葉に対して、何かを言うつもりもなかった。
何を言った所で、彼が望むものではないのだろうから。

夏草茂る村の跡地を進み、やがて開けた場所に出た。
焼けた木の前で、彼が足を止める。その横に並び、膝をついた。
どうすればいいか、敢えて聞く必要はない。枯れた木の根元に新たに生える緑を見ながら、その側の土を掘り返す。
固いと思われた土は思っていたよりも柔らかく、これならば手だけで掘り進められそうだ。
ある程度土を掘り、先ほどの下駄をその中に入れる。背負っていたリュックを下ろし、中から箱を取り出すと一緒に中に入れ土をかけた。

「――会えるかな。もう一度」

思わず溢れた声に、彼は何も返さない。
ただ隣に寄り添い、目を細めた。

不意に風が吹き抜ける。夏草を揺すり、音を立てる。
その音に混じり、どこかで笑い声が聞こえた。
顔を上げて振り返る。村へと駆けていく小さな二つの影を認め、息を呑んだ。
視界が滲む。消えていく影を追うように、頬を涙が伝い落ちていく。

「良かった……」

本物か、それとも彼が見せた幻かは分からない。それでも、今だけは本物だと信じていたかった。
彼が鼻先を寄せ、止められない涙を舐める。静かな優しさに、息が苦しくなる。
彼の首に腕を回し、声を上げて泣いた。

「存分に泣くといい。ここには何もない。お前を愛してくれた彼女はいないが、忌避する者もいない。落ち着くまでは……お前が望む限りは側にいよう」

声を出せない代わりに、何度も頷いた。
彼がいる。かつてこの村を愛し、村の終わりを悲しんだ一柱の狼の姿をした神がいてくれる。

一人きりの自分には、それだけが何よりの救いだった。

8/30/2025, 9:52:42 AM