渚雅

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『〜でいい』

同棲中の彼は口癖のようにそう言う。"〜がいい"でも"〜の気分"でもなく『〜でいい』と。他のものがいいけれど仕方ないから代替品で妥協してやっているとでも言うかのような口調で、そう言うのだ。

もしかしたら、悪気は無いのかもしれない。深い意味は無いのかもしれない。あくまでそういう風にしか喋れない人なのであろう。

……ただ、それでも。いつまでも胸につっかえたような釈然としないモヤモヤが日に日に育っていって、なんとなく彼とこのまま過ごす未来が見えなくなっていった。



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『中華と洋食どっちがいい〜?』

珍しく彼が出かけてくるから食事はいらないと言った土曜日の昼下がり。普段は彼の都合に合わせているから思いがけず得た久々の休みを満喫しようと出かけた先で、見覚えがあるような人影が視界に飛び込んできた。

フリルの着いた可愛らしく乙女チックな己より数歳下であろう女性の横にエスコートするように佇む彼。他人の空似を疑ってみても今朝見送った時のままの服装では勘違いの仕様もない。


『そうだなぁ。中華もいいけど洋食がいいかな。美味しい洋食屋さん知ってるから案内するよ』
『ほんと? 楽しみ! ありがとっ!』

キャッキャと楽しげに笑う女性は頬を紅潮させて彼を見上げている。当の彼も普段の仏頂面とは打って変わって優しい表情で女性を見下ろしている。……いやはやなんとも絵になる2人だ。まるでドラマでも見ているかのようだ。

二股? なんて詰め寄る気はさらさらない。どう考えてもこの場において異分子であるのは私の方で。彼はまだしも彼女の方を責める気持ちは微塵も湧かない。

ただ、心のどこかが冷え切って やっぱりなと諦念にも似たような感情にかられた。


「そういう、こと」

彼女が本命なのなら、彼にとって私の存在そのものが『でいい』ものだったのだ、きっと。


「よし、別れよう」

そうと決めれば善は急げ。楽しんでいる最中の女性には悪いけれど、おじゃま虫が消えて無事フリーになった彼と是非ともお幸せになってもらおう。

心の底からの笑みを浮かべながら、なんでもない仕草で2人に近づく。



「楽しんでるところごめんなさい。お別れしましょう」
「え? 〇〇ちゃん?」

突然の闖入者に彼が動揺を見せる。いや、それは彼女も同じか。目を丸くさせて口を小さく開けている。ごめんなさいね、すぐに居なくなるからほんの3分だけ時間を頂戴ね。


「今までありがとう」
「……は?」

別れを切り出したというのに彼はまだ理解が追いついてないらしい。動揺のひとつもしてくれないなんて本当に貴方にとっての私の存在は軽いものなのね。もう構わないけれど。


「私、妥協で選ばれるの好きじゃないの」
「何言って」
「だから、別れましょう。さようなら。そこのあなたはどうぞ彼と幸せにね」
「っ、ちょっと……!」

デートの邪魔してごめんなさいと謝罪を残して踵を返せば、我に返った彼が引き止めようと腕を掴もうとしてくる。それに口を開いたのは私ではなく怒りを宿したような可愛らしい声。


「あんた何なの!?」
「……っ、」

彼から伸ばされた手は女性の言葉でビクリと震え、そのまま力なく下に降ろされる。それを視界の端に捉えながら振り返らず歩みを進めて人混みに紛れれば、追ってくるような気配もなかった。


(ほらね。それでいい、なんて嘘じゃない)

闊歩した街の空気は意外な程に清々しくて。新しい自分を見つけたようなそんな気がした。

4/4/2024, 11:50:07 AM