ああすればよかった……こうすればよかった……でも半田さんだって、あそこまでキツく言うことないじゃない。
頭の中をいろんな考えがぐるぐる巡っていた。パソコンの画面がどんどん滲んでいく。わっと泣き出したいのをこらえて、開いたままのメールを睨んでいたら、名前を呼ばれた。少し離れたところで、課長がちょいちょいと手招きしている。半田係長に何か言われたのだろうか。仕方ないかもだけど、いまは何を言われても、冷静に聞ける気がしなかった。
ノートパソコンを閉じて、仕方なく課長の後に従う。小会議室へ入るとばかり思っていたが、「空室」の表示が出ている部屋の前を課長は素通りし廊下をずんずん進んで行った。
突き当たりに着くと、給湯室の入り口で自販機を指して
「好きなの押せ」
とICカードを取り出した。
すこし考えて、ミルクティーのボタンを押す。普段は珈琲ばかりだったが、甘いものが飲みたかった。課長がカードをかざすと、取り出し口でゴトリと厳かな音が響いた。
「ご、ごちそうさまです」
「うん」
課長は続いて缶珈琲を買い、先にタブを開ける。ミルクと砂糖の入ったものだった。ブラックしか見たことがなかったのでちょっと意外だ。給湯室の流しにもたれ、並んで缶を傾けた。しばらく二人とも黙っていた。
「そういうの飲むんだな」
ㅤ甘いミルクティーをじっと見て、課長がポツリと言った。
「課長こそ。ブラックだけだと思ってました」
ㅤ私の返事に課長は、ははっと笑った。
「まだ知らない世界がある、ってことか。俺にも、半田にも、日野にも」
「え……?」
「だから、その、なんだ」
ㅤ身体の重心を探るように動かして課長は目をギョロリと左上に動かす。眉間に皺を寄せ、見えないものを見ようとするかのように。
「分かろうとすることを諦めないで進もう、ってことが、言いたくてだな」
ㅤ分かったような分からないような慰めに、私はしばし立場を忘れ、ふふっと吹き出してしまう。手の中のミルクティーがちゃぷりと音を立てた。
『まだ知らない世界』
5/18/2025, 9:59:47 AM