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 風に吹かれた洗濯物みたい。出会った頃より更に長くなった「お兄さん」の髪を見ながらひとり考える。
 拾われたのは物心ついて五年ほど経った歳の頃。毎日おなかが空いて仕方なく、野うさぎに逃げ仰せられては野草を食んでいた時分だった。
『こんな所で、何をしているんだい』
『見てわかんないの』
 陽が傾き始めていた。背の高い、まだおそらく"大人"ではない男が立っている。上等そうな身なりでもない。平凡な、街中を歩く普通の人と同じような、安っぽそうな衣に身を包み荷物を背負っている。
 なんだ。金持ちのお布施でもないなら、馬鹿にしにきたのか。空腹と、それによる睡眠不足で怒りが煮え立ち始める。ぐらり、ぐらぐら。銅貨の一枚でも投げて寄越してくれないなら、帰ってほしい。気が立っているのだ。あまり不快を態度にしすぎて殴られてもいけないので、せめての反抗に睨め付けてやろうと顔をしっかり捉えた時に唖然とした。
『いや、すまない。馬鹿にするつもりは無いんだ。声を掛けるにもどうしていいか分からなくてね』
 真っ先に目を引いたのは瞳の色だった。透き通るような、美しい空の蒼。
 目立つ容姿というほどで無い、柔和そうな顔立ち。しかし整っている部類に入ると思う。まごついている様子からして、害意は本当になさそうだった。
『……夕飯捕まえられなかっただけ』
 ほんの気まぐれ。晴れた日の空みたいな、うつくしい蒼を見ているうちに、何故だか口が動いていただけ。怒っていた手前、つっけんどんに答える。
『じゃあ、私があの鳥を捕まえたら。一緒に食べてくれるかい』
 染まりつつある空を指し、子供に不遜な態度を取られたことも気にせず。男の人がそう尋ねる。答えの代わりに頷くとぱぁっと嬉しそうにして、いそいそと背中の袋から弓を取り出した。
 矢をつがえ、地平線のように真っ直ぐ鳥を見据える。柔和だった表情が一変した。研ぎ澄まされた氷が獲物を正確に捉えて、風を切る音。
『……よし!』
 的中。私よりも子供らしく、無邪気に喜んだ人が、落ちた鳥をむんずと掴み歩いてくる。
『ご相伴に預かってくれないだろうか?』
 また陽だまりのように柔くなった二対に惹かれ、ゆっくりと歩み寄った。お兄さんの名前は。そう聞きながら。
「なんで髪、伸ばしてるの」
 今では特等席になったお兄さん謹製の椅子に座り、そう問いかける。窓から吹き込む風が、目の前の髪を揺らすようすを見てふと口をついたのだ。
 あの頃から変わらないこの人は、わたしの他にもひもじかった子猫と犬、さらに馬まで住まわせている家を見渡しながら答えた。
「昔。きみと今、窓辺でこのやり取りをするのが見えたからさ」
 本当にお人好しだ。不思議と未来まで見渡せそうな蒼を細めながら笑うお兄さんに、気恥ずかしくなってそっぽを向いた。

4/19/2023, 11:15:01 AM