思春期になると人は皆、花を咲かせる。
そしてその花は、自分を象徴する花となり、それは咲かせた人にとってひとつの誇れる魅力となる。花は人の一部でそれは私たちと呼応する。
小さな小鉢のようなもので持ち歩く人もいれば、咲かせた花で大きな花冠を作る人もいる。花の魅せ方は人それぞれだ。
花と言うが、それは現実の野に咲く名前の着いた花ではなく、それぞれ名前のつかぬ唯一無二のものを咲かす。
であるが故に、初々しい思春期の真っ只中の人々は自分の花が咲くのはいつかいつかと心待ちにして日々を過ごすようになるのだった。
空っぽになった小さな小鉢が押し入れの奥底から出てきた時、私は不意に昔のことを思い出した。
――思春期には、例にも漏れず私にも花が咲いた。
硝子のように透き通る花弁は、見せた人、 皆を惹き付けた。
私はその花を小鉢に植えて、あまり人目につかぬように大切に持ち歩いていた。
けれど、ある日、クラスの中で何の話からか花を見せ合う話になって、半強制的に、クラスメイトたちはそれぞれ自分が咲かせたばかりの花を見せ合うことになった。そしてそれに準じて、私も、あまり人目につかずに大切にしてきた花をクラスの人達に見せることになった。
隠していたつもりではなかったが、あけっぴろげに持ち歩くのもなんだか恥ずかしくて人の目に晒すのはその日が初めてだった。
各々が花を見せあって言って、私の番になった。
小鉢にふわりと被せてあった布をはずしてみると、ちょうど陽の光が花にあたり、光を乱反射させて煌々と花が輝いた。自分で言うのもなんだが、その様は酷く美しいものだったように思う。
クラスメイトみんなが私の花に惹き付けられ、そのうちの一人が花弁に触れようと手を伸ばした。その瞬間、花弁は硝子が割れるように砕け散り、破片は手を伸ばした人間に傷をつけた。
夢を見るようにして惚けていた私たちは途端に現実に引き戻され、教室はざわめいた。
「花を見せたくなかったのなら、最初から言えばいいじゃない!!」
怪我をした女の子を庇うようにその子の友達は私に抗議した。
しかし、そう言われても私だって、こんなことは初めてで、花がこんなことになったことは無かった。それに花が私の一部だと言っても私は花を自在に操ることは出来なかったし、ただただ大切にしていただけだった。
でも、私はその場では何も言い返すことは出来ず、ただただ怪我をさせてしまった罪悪感から切り傷を負った彼女に何度も謝ることしか出来なかった。
その出来事から私は、花を咲かすことはできなくなってしまった。
もう、20にもなるが、ここ数年、一度咲いた私の花がもう一度芽吹く様子はなかった。
忘れようとしてたことを思い出した反動か、なんだか寂しい気持ちになって空になった小鉢に思いつきでもう一度土を入れることを私は思い立った。
今度は種を入れて野に咲く花の種を埋めようと変なことを考えたのだ。
そして週末、私は小鉢に埋めた種が少しでも早く芽吹くように願って公園の陽の当たるベンチで小鉢を膝の上に乗せて日向ぼっこをしていた。
「お隣、いいかい」
柔らかな声の顔を上げるとそこには声の雰囲気と変わらぬ優しい笑顔を浮かべたおばあさんが立っていた。彼女の耳には淡い色のしなやかな花弁を揃えた可愛らしい花が挟まれている。
「どうぞどうぞ、」
断る理由もなかったので相席を快く引き受けると彼女の目線は私の膝上の小鉢へと移った。
「あ、これ気になりますよね。この歳になっても空の小鉢なんて。」
別に聞かれた訳でもないのにいつの間にか私の口はペラペラと話を始めていた。
「そうねぇ、言われてみればねぇ。生え変わりの時期かい?」
「いや、私、咲かせられなくなっちゃったんですよね。自分の花。」
人を傷つけてしまったあの日から、私の花は咲かなくなってしまったのだと、私は何も聞いていないはずのおばあさんに、洗いざらい話してしまった。通りすがりの縁で出会った彼女には触れにくいような話題であるはずなのに。
全て話し終えた頃に、私は正気を取り戻し、途端に恥ずかしくなった。身のうち話を、打ち明けるにはそぐわない相手だと気づいたからだ。
「あぁ、ごめんなさい。私ったらおしゃべりで。」
「いいのよ。にしてもあなた、花を咲かせられないなんて言うけれど、あなたはきっと人を傷つけたかったんじゃなくって、自分を守りたかったんじゃない?」
「え?」
思わぬ返事に私は思わず驚いた。
「だって、誰だって大切なものに迂闊に手を伸ばされちゃあ守りたくなるものじゃない。それと同じよ。それにあなたが見せたくて見せたんじゃなかったら尚更。」
確かに、手を伸ばされた時私は咄嗟に嫌に感じたような気がする。私は今まで思い出せなかったあの時の感情が、おばあさんの言葉で蘇るような心地がした。
「そう、なんですかね。」
「そうよ、きっとトラウマが蓋になってるだけで、あなたはまだ花を咲かせられると思うわよ。現に今も、なんだか不思議な芽が出ている訳だし。」
おばあさんの目線を追うように、小鉢に目を移すと確かにそこにはさっきまでなかったはずの、小さな芽がいつの間にか芽吹いている。
「あれ、いつの間に、、」
「ほらね?少し話をしただけでここまで芽吹かせるなんて大した物ねぇあなた。」
物事を解決してくれたのはおばあさんでしかないと言うのに、当の本人は自分は関係ないよというようにいたずらっ子のように笑っていた。
「この調子なら、今日の夜には咲きそうね。あなたの花。満開になったら気が向いたらでいいから、見せて欲しいわ。」
「咲かせてくれた方に見せないなんて、失礼なことできません。ありがとうございます、あなたのおかげでまた、咲かせそうです。」
何処までも優しい彼女に私は心から感謝を述べた。最後までおばあさんは私だけの力だと言い張っていたが、明日また、私たちは会う予定を取り付けて私は帰り道に着いた。
その日の夜、おばあさんが言ってたように窓辺に置いた小鉢には美しい花が咲き誇った。
月の光に照らされて輝く花は、繊細で、何処までも透き通り美しく、あの頃と変わらぬ姿であるのであった。
―――咲かなくなった花
お題【繊細な花】
6/25/2024, 1:35:41 PM