鴫沢(しぎさわ)

Open App

忘却にみをゆだね、ねむっているわたしは、もえるような曙光がさしこんでくるのに、めがさめる。くるしみのただなかにいるものにとって、めざめとは、いくぶんつらいものである。かりそめの忘却からめざめへとうつってゆくなかで、苦悩をせおいこんでいるじぶんをさいはっけんし、すべてのどんづまりをおもいだす。そのようなくるしいしゅんかんにさしこむ曙光は、もえるようにぎらぎらとかがやき、まるでわたしをせめさいなむほのおのようだ。ねむりの忘却のふちにしずめておきたいことどもを、曙光はヨウシャなくあばきたて、わたしにいやおうなくちょくめんさせる。つかのまのねむりでわすれていた苦悩をはっきりとおもいだし、わたしは憂愁にとざされる。しかも、そのときにはすでにねむけはわたしからさり、ふたたびねむることはできない。わたしは、はっきりめざめたイシキのまま、苦悩にたちむかわなければならない。

——日の出

1/3/2024, 3:29:00 PM