『迎えの約束』
暗い森の中を走った。もしかしたら迷ってしまい二度とこの森からは出れないかもしれないが、今はそんなことを考えている余裕はなかった。近くでは私達を探しているであろう人達の声が聞こえてきている。懐中電灯の光がハッキリと見えるまで迫ってきていた。
ここ数日降り続いていた雨は地面を濡らし、足元の土はぬかるんでいる。聞こえる滝の音は、増水した影響なのか轟々と耳をついた。
「ねえ貴方」
私は彼を呼んだ。
私の手を引いて前を走る貴方は、ずっと「すまない、すまない」と繰り返していた。私の意思でこうしているのだから謝らなくてもいいのに。
「なんだい?すまないがもう少しだけ耐えてくれ。せめて彼等を撒けさえすれば」
貴方は私の方に振り返らなかった。そのまま手を引き走りながら声に耳を傾けているようだった。
「大きな滝の音が聞こえているの」
「……確かに聞こえるね。なにか気になることでも?」
「そちらに行ってみない?」
彼は驚いたのか少しの間が空いてから答えてくれた。
「どうして?……ああクソ!もうすぐ近くにまで迫ってきているのか!」
彼の名前を呼ぶ声と怒声、そして私を心配している声が混じり、私たちに聞こえてきた。このままでは時間の問題だということはよく分かっていた。雨粒が森の木々の葉を叩く喧しい音でも追ってきている人の声は描き消せなかった。
「私ね、あの家に戻るくらいなら貴方と一緒にいたいの」
「それは僕だって同じさ。だから今こうして」
「滝つぼに身を投げた時、死体は浮かび上がらないらしいわ」
逃避行を始めてから、はじめて彼の足が止まった。
「私が何を言いたいのか分かるでしょ?」
「わかるけれど、そんなの本末転倒じゃないか!」
「そんなことないわ。だって私が今1番望んでいるのは貴方と一緒に自由になることなんだもの」
私は彼の手を取って、約束をするように小指をからませた。
「もし生まれ変われたら、私が貴方を1番に迎えに行くわ。だからお願い。人生最初で最後のわがままよ。私と一緒に、」
大きな雷が近くで落ちた。私の声は彼に聞こえていたかしら?
さらに雨が激しく振る。足を止めたことで体が冷えたのか、私の手を握る彼の手の震えが止まらなくなっていた。
(テーマ:二人だけの秘密)
5/3/2024, 11:47:52 AM