かたいなか

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「『桜開花にドキドキ!』は競争者が多いよな」
胸の高鳴りはすなわちアドレナリン等々の作用。
恋にストレスにガチャ、全力疾走や音楽。
ニュアンスこそ違うものの、ヒヤリ体験も心拍数は増えよう。とはいえ「胸の高鳴り」には違いない。
どの胸の高鳴りが、書きやすいか。某所在住物書きは時折首を傾けながら、スマホで情報収集に努めた。

強制的に胸を高鳴らせる方法は薬物であろう。
低血圧に対する昇圧薬、あるいはアレルギーのアナフィラキシーに対するエピペンなどは、
それぞれの症状に対処、あるいは緩和するため、血圧を上げさせる。ゆえに胸は医学的に高鳴る。

「……コーヒーでも心臓はバクバクするわな」
ふと、手元の茶を見る。
「『胸が高鳴る』のを自覚するくらいのバチクソな量って……何リットル?」
多分それコーヒーや茶よりエナドリが早いです。

――――――

最近最近の都内某所、某支店、1日に10人も来れば繁忙日と言える静寂のそこ、朝。
寝不足にあくびの女性が、大きめの紙袋をデスクの下に隠し置いて、カフェイン入りの飴を2個放り込み、ガリリ。噛み砕いている。
一気に入り込んだ成分は神経を刺激し、脈拍を増加させ、胸を高鳴らせるだろう――不健康な意味で。
ただでさえ寝不足と睡眠負債の影響で、少し血圧も上がっているのに。

「随分つらそうではないか」
通称「教授」、情報確認中のタブレットから顔を上げた支店長が、女性に挨拶を投げた。
「何かあったのかね?時間給で仮眠でもどうだ?」

「もう、完全に、私自身の自業自得で」
ふわわ。ガリガリガリ。
「枕合ってなかったらしくって、ひどい目に」
もう1個飴を取り出そうとする彼女の手を、ヤメトキナする男性がある。それは今月一緒にこの支店へ異動してきた男であった。
名前を付烏月、ツウキという。
自称「旧姓附子山」だが細かいことは気にしない。

「まくら?では、その紙袋の中は、」
「ですです。オーダーメイド枕。聞きます?
おとといの夜から、寝ると、なんっていうか、脳がパンパンっていうか頭がしめつけられるっていうか」
「頭痛はどうかね?」
「全然。で、昨日の夜が特に酷くて、このまま頭の血管切れちゃうんじゃないかって不安になって」

「救急車は」
「丁度近くの病院の漢方内科医さんが深夜対応可能なひとで、行ったら『多分枕が合ってませんね』って。『漢方お出しすることもできますけど、ひとまず枕で様子見てみませんか』って」
「ふむ」
「『猫又の雑貨屋さん』ってとこが猫らしく深夜も開けてくれてて、事情話したらメッチャ調整してくれて『明日の朝までに仕上げます』って」

「昨晩は眠れたのか」
「2時間だけ。怖くて」

大変だったねぇ。
カフェインレスのインスタントコーヒーを差し出す付烏月は、机の下の紙袋をチラリ。
中には穏やかな薄いペールブラウンのフカフカが、
きっと枕カバーであろう、かわいらしい柄のタオル生地と一緒にかくれんぼしている。

「『頭をあんまり動かさない、デスクワーカーじゃないですか』、『凝ってませんか』って言われた」
コーヒーの湯気を、香りをいっぱいに吸って、深く、長く息を吐き、またあくび。
「ともかく、コレで症状良くならなかったら、もう一回病院行ってきます……」
もう、大丈夫かなって、ハラハラで、悪い意味で胸がドキドキで。高鳴って。
女性は胸骨の、心臓のあたりを左手でさすり、右手で首筋の筋肉を押す。
連動して脳圧の上がる心地や錯覚がするのであろう。表情はすぐれず、不安そうであった。

「一旦今寝てみて、昼休憩にその『化け猫の雑貨屋』に微調整を依頼することは、」
「『化け猫』じゃなくて『猫又』です支店長」
「で、依頼することは、できないのかね?」
「ちょっとお店まで遠いです支店長」

「事情は把握した。ともかく今か昼にでも、一度試したまえ。どうせウチは客が少ない。」
「わぁ。平和店ならではの福利厚生……」

結果。
1日に10人も来れば繁忙日と言える支店に、「今日に限ってモンスターカスタマーの襲来」といったトラブルは発生せず、
枕を試して仕事も終えて、雑貨屋で調整も終えた彼女は、しかし夜また不調が現れて、再度通院。
「マットレスはどうですか」
リラックス作用のあるハーブティーを差し出して、実家が狐住む稲荷神社という漢方医が尋ねた。
「何年も何年も、同じ向きで、使っていませんか」
不健康に胸の高鳴りが継続していた女性は、途端、己の寝具にハッとした。

3/20/2024, 2:54:34 AM