「ええ。殺しました」
八人ほど。男がぐっと身体を後ろに傾けると、ちゃちなパイプ椅子が悲鳴を上げた。
窓のない、黴臭い部屋。いやにじっとりしたこの空間に足を踏み入れた男は、「如何にも、って感じで。なんかテンション上がっちゃいますね」と一人笑っていた。
本来であれば外されるはずの手錠は手首についたままで、男はそれを見せつけるよう、わざと音を立てながら乙女のように頬杖をつく。指先に付着した血。手錠を外した警官を、何度も殴ってついた血だった。
「なぜ殺した?」
「黙秘しまぁす。なーんて、うそうそ。言ってみたかっただけです」
「……」
「怖い顔しないで……ただ殺したかっただけですよ。それ以外に理由なんてありません」
男の視線が、指先の血に気付く。顔を傾け、まるで爬虫類のように、指先に向かって舌を伸ばす。時間が経って固まった赤黒い血を、一心不乱に舐め溶かす姿は何とも奇妙で、俺は取調べを続けることも忘れて少しの間それを見ていた。
ふいに、男の瞳がこちらを射抜く。
──八人。
こいつは罪の無い人を、八人も殺したのだ。それなのに。
男が俺の目を見つめている。首筋に伝った汗の、その冷たさ。
「……世の中には確か、こんな考えがありましたよね」
情けないことに声が出せない。男はそんな俺を気にもせず、目を合わせたまま言葉を続ける。
「“死は救済”、とかなんとか」
ああ、そう言って微笑んだ男の、瞳といったら。
#安らかな瞳
3/14/2024, 11:19:43 AM