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#勿忘草(わすれなぐさ)

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春らしい暖かな風が、青い小花をふわりと揺らす。
その近くへ座ると、持参した酒瓶を、音が聞こえる程の勢いで置いていた。

この一面の花畑を見たら、彼奴はどんな顔をするだろう。
こう言うのは癪だが、ここに立つ姿は、きっと様になってしまうのだろう。...本人は、困った顔をしそうだが

人間の記憶力と言うのは、恐ろしいもので。
彼奴の気配を感じない日常も、もう随分板に付いてしまって。あれだけ鮮明だった彼奴の声にも、今ではモヤが掛かっている。

...これから更に年月を重ねれば、顔も、その想い出すらも曖昧になっていくのだと。
何度目かの思考に、またも目頭が痛くなった。


「君には、是非私の最後を看取って欲しい」


冗談だと思うだろう。いきなりそんな事を言われても。
だからその時は悪趣味だなとしか思わなかったし、適当に返してしまったし、そう言った彼奴の顔も、よく見ていたかった。
そもそも、あとから聞いた医者の話的に、自分の鈍感さに嫌気が刺す。

たらればの話を広げた所で、戻ってこないのだと、ただ虚しさを感じるだけだと分かっている。
だが性懲りも無く、逃避を企てる思考はそちらへ向かうのだから、ただの悪循環である。

当たり前過ぎた故に、受け入れるのに随分と時間を要した。...いや、こんな事を思い返している時点で、朝の時折、俺を起こす彼奴の声を探してしまう時点で、実の所ちっとも受け入れられていないのだろう。

...いっその事、忘れないでと言われていたなら。遠慮なく、忘れる事が出来たかもしれない。
だって、あまりに唐突に居なくなるものだから、余計印象に残ってしまった。

だから態々、嫌味を込めて勿忘草を植えた。
向こうに居るだろう彼奴も、これを見て俺を忘れなければ良い。あんな別れをした事を、後悔してしまえば良い。

自分のエゴで固めた周りは、妙に居心地が良かった。

開ける気になれない酒を眺め、旨そうに飲み干す彼奴の顔が浮かんだ。

2/2/2026, 12:25:58 PM