神様だけが知っている、世界の秘密があるらしい。
木々に青葉、晴れた空には白い雲。風はそよぎ、花は揺れる。うららかな日差しで満ちる、絵に描いたような美しさのこの世界には、決して暴いてはいけない秘密がある。まことしやかに囁かれる噂話。ここのところみんなずっと、出どころの分からないそれを気にしている。
地域住民の戸籍や経歴を管理する、いわゆる住民課。ここが私の仕事場。今日も渡された書類にそって、登録情報の書き換えや抹消、新たな登録などを行う。
個人情報の管理はとても厳重で、住民課はみなワークスペースが個別に区切られ、遮音も万全だ。だから同じ部署にいても他の人が何をしているのか、さっぱり分からない。
ある日不思議なことを言う住民が来たと、受付を担当している同期から聞いた。なんでも、昨日までいた恋人の存在が忽然と消えたのだと。
失踪なら別にそこまで珍しいか?と思ったが、この話には続きがあった。
恋人がいないのはもちろんのこと、借りられていた部屋の中のもの、職場や友人、どこを探しても、誰に聞いても、その人がいた形跡や思い出ごと消えてしまった、と。
「それって、最初からいなかったのでは」
「こっちもみんなそんな反応」
「だよね」
人が消えるなんて普通に考えたらあり得ない。存在や、痕跡や記憶。まるごと消えてしまうなんて。まるで作り話だ。
「結局その人、家族が迎えに来て、病院に連れて行ってみますって」
そんな話をして、同期とはいつもの駅で別れた。
広々とした部屋に、ふたつの人影。
「騒ぎがあったって?」
椅子に腰掛けゆったりとした口調で、けれど確かに咎めるように放たれる言葉。
「申し訳ありません」
そばに控える黒服の男は静かに頭を垂れる。
「ダメだよ、関わりのある個体はきちんと洗い出さないと。で、その子は?」
くるりと椅子を回転させて黒服を振り返る、中性的な顔立ちは優しげで、けれどその笑みにはどことなく圧がある。
「家族が精神科を受診させたので、そのまま一時入院とし、その間に他の者と同じように記憶の処理を致します」
黒服は先程から下げたままの頭を、より深く沈める。
「大切に扱ってよ。その子も大事な代替品(レプリカ)なんだから」
「仰せのままに」
この世界には決して暴いてはいけない秘密がある。
「ねぇ、知ってる?」
「この世界は全部ニセモノで出来てるんだって」
真偽の定かでない噂だけは、水のようにどこまでも流れていく。
〉神様だけが知っている 22.7.4
7/4/2022, 2:42:28 PM