「台風が過ぎ去って」
風が音を立てて吹き、窓が軋み始めるとどことなく胸がザワザワする。
子供たちがソワソワとテレビを見ているのはアニメが面白いからではなく、それを縁取るように流れていく文字のせいだろう。
「ママあ!明日学校休みかなぁ?」
嬉しそうな様子を隠すこともなく無邪気に声を上げた。
「どうだろうね〜明日にはもうどっか行ってるよ」
今回の台風は大規模で危険な代わりに、進むスピードが速いそうだ。
ベランダのゴミとか部屋に入れておかないといけないかしら…?窓ガラスも念の為、ガムテープ貼っておいた方がいい…?
一応避難場所とか確認しておこうかな…
無邪気な子供たちとは違って大人は考えなければいけないことが山ほどある。
チャイムが鳴って夫が帰ってきた。
傘は持って行っていたはずなのにびしょ濡れだ。
「いやあ、やばかった。電車が止まってさー」
「え?大変だったわね」
急いでバスタオルを渡す。
「こんなにでかいのは久しぶりじゃないか?ちょっとワクワクするな」
「不謹慎なこと言わないでよ!」
思ったより強い口調になってしまった。
けれど毎年被害が出ているのに、ワクワクするなんて罰当たりなこと言っていたら私たちが被害に遭うかもしれないじゃない…
夫は少し驚いた表情で冗談じゃん、と言った。
心配しすぎなのか?
歳を取るにつれて神経質になっている気がする。
私はため息をついてキッチンに戻った。
ヘビメタのライブ会場かのように木々が頭を揺らし、バケツで水をぶっかけられたかのように窓に雨が打ちつけている。
窓の隙間からビュービューとおどろおどろしい風音が聞こえてきてすっかり恐ろしくなってしまった。
どうしてみんな呑気にテレビを見ていられるの?
SNSを見ても、明日の仕事や学校の有無を気にしている人が電車が止まって帰れなくなった人の愚痴しか見当たらない。
誰も安全を気にしていない。
これが普通なんだろうか。
台風ごときでこんなにブルブル震えているのは、私くらいなんだろうか。
私がおかしいんだろうか。
どうも小さい頃から台風や地震など自然が猛威を振るうのが怖くて仕方がなかった。
大人になっても克服することはなくて、雷や大雨で震えていたら当時の友人たちに「可愛い子ぶってる」なんて言って揶揄われた。
そう思われるのが嫌で強がっていたけれど、やはり私がおかしいんだろうな。
「ん」
夫がそっとマグカップを差し出した。
「風が強いから寒いよねー。まだ夏のはずなのに」
ふわりと香ってきたのはカモミール。
夫はなんでもないふりをして新聞を広げた。
あ、そうだ。
彼を好きになったのはこんな台風の日だった。
新卒の頃、台風で会社から帰れなくなってしまった時、上司の目を盗んで休憩所でコーヒーを一緒に飲んだっけ。
そして2人きりでずっと話をしていた。
思わず笑みが溢れる。
「え、なに?」
照れたように夫が上目遣いでこちらを見る。
あの頃より少しふっくらして前髪が後退しているけれど赤い顔はずっと変わらない。
「なんでもない」
私はマグカップで視線を遮った。
「ママあ!警報解除だって!台風行っちゃった!」
子供たちが残念そうに叫んだ。
「あら、そうなの?」
私はホッと安心して窓の外を見た。
心なしか雨足が弱まっている気がする。
「明日仕事だなー」
夫が残念そうに呟く。
明日のお弁当はいつもより豪華にしてあげようかな。
私はカモミールティーを飲み干した。
9/13/2025, 10:45:13 AM