春一番

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「見てみて、蒼原。海だよ」
「…そうだね。海だ」
「久しぶりに来たけれど、やっぱり綺麗だねえ」
「ああ、夕日と海なんて贅沢の極みだ」

 青雲の突然の思いつきにより、青雲と蒼原は電車を乗り継ぎ、海に来ていた。家を出た時間が時間だったため、あたりは夕日に染まっていた。電車を降りてから海の見える景色を堪能し、今は二人で波際をたどるように歩いている。

「この海に沈む夕日というのは、とても幻想的だねえ。まるで、別の世界のようだ」
「うん、そうだね。本当に綺麗だ」 

 ふと、青雲が立ち止まる。後を着いてきていた蒼原もつられてゆっくり立ち止まった。

「時々考えるんだ。今私が生きているこの世界は誰かが夢に見ている瞬きの間の世界なんじゃないかって」
「青雲…?」
「だからその誰かが目を覚ましたとき、この世界ごと私達はぽっかりと消えてしまって、誰の記憶にも残らず忘れ去られてしまう」

 青雲は蒼原と向き合うように体を向けた。その雰囲気がなんとも言えない寂しさを孕んでいて、蒼原は何も言えなくなってしまった。

「この世界はとても優しくて、美しい。まるで夢を見ているようなんだ。だけど同時に酷く怖くなる、

終わってしまったらどうしようと」

手を掴まれ、そのまま青雲の首に手を掛けさせられる。

「だからこの夢が醒める前に君が終わらせて」

 蒼原はひゅっと息を呑んだ。青雲の突発的な死にたがり行為は何度か目にしている。しかし、どの一度も慣れたことはない。それこそ悪夢として夢に見るほどに。でもきっとその思いが青雲に伝わることはないのだろうと毎回思わされている。
 青雲の顔は夕日に照らされて、赤く染まっていた。その中でも青雲はいつもと同じ笑顔を浮かべている。蒼原と青雲の間に波の揺蕩う音だけが響いていた。

「もう少しだけこの夢の中に居ようよ、青雲」

俯き、首にかけていた手を震えながら青雲の肩に持っていく。そして力なく掴んだ。

「もう少しだけでもいいから、僕の側にいて」

 声は震えてしまったが、涙は出なかった。蒼原は縋るように今度は手に力を込める。青雲はなにも言わなかった。しかし、ゆっくりと右手を自分の肩を掴む蒼原の左手に重ねた。蒼原がゆっくり顔をあげると青雲は先ほどと同じ笑顔で、だけど少し困ったような顔をしていた。

「…お腹空いちゃった。何か食べにいこう」

 そう言うと青雲は重ねていた左手を握り、ゆっくりと歩き出した。蒼原は青雲の歩幅に合わせて歩く。ふと、海の方を見た。もう夕日は半分以上沈んでいて、夜の訪れを待ち望んでいる。

 あの夢のことを思い出す。何度も青雲が死んでしまう夢。あのときは見ているだけだったけれども、こうして何度でも青雲に縋ろう。青雲はまた困ったような顔を浮かべるだろうけど、きっと何度だって自分の手を取る、そう蒼原は信じている。だからきっと大丈夫。蒼原は青雲の手を握り返した。

「何度だって、ちゃんと君の手を引くよ」

 小さく青雲の背中につぶやく。するとはは、と力ない笑い声が青雲から零れた。

「私も、精々この夢に溺れ死なないよう努力するよ」

 顔は前を向いたまま、でもたしかに青雲の手は温かく、繋がれたままだった。

3/20/2023, 3:22:31 PM