〈ぬくもりの記憶〉
冬になると、膝の上が妙に寂しい。
寒さが本格的になるにつれ、どうしても思い出してしまう。膝の上に乗った、あの小さな重みのことを。
小学生の頃から一緒に暮らしていた猫が亡くなって、もう二年が経つ。
白い毛並みで、ところどころにココアパウダーを振ったみたいな茶色が混ざっていた。
母は少し気取って、ミルクの意味だと言いながら「ミルヒ」と名付けたけれど、結局みんな「みーこ」と呼んでいた。「小川ミルヒさん」とフルネームで呼んでくれるのは動物病院ぐらいだ。
性格なのか、みーこはどこか人間くさかった。
テレビの天気予報(正確には天気図を指す指示棒)が好きで、時間になるとチャンネルを変えろと言う。
母の肩に軽々と乗っては台所でご飯の催促をする。
おやつの袋が置いてある場所を正確に把握していて、じっと見上げて無言の圧をかける。そしてそれに負けておやつをあげてしまうのが父だ。
自分を猫だと思っていないんじゃないかと、本気で思うことがあった。
受験勉強をしていた頃、私の部屋にはいつもみーこがいた。
机に向かうと、当然のように膝の上に丸まり、動かそうとすると不満げにしっぽを揺らす。
夜が更けてくると、今度はベッドに移動して、こちらを振り返りながら鳴く。
「もう十分でしょう、早く寝なさい」と言っているみたいだった。
落ち込んでいるときも、みーこは何も聞かない。ただ隣に座り、体温を分けるようにして寄り添ってくれた。賢い猫だったと思う。
だからこそ、いなくなったあと、家の中が妙に広く感じた。
冬が来るたび、膝の上に何もないことが、ひどく寂しい。 あの小さなぬくもりが、とても懐かしい。
みーこのぬくもりを思い出すと、胸の奥が冷えびえとする。
ある日、リビングで母とお茶を飲みながら、そんな話をした。母も同じ気持ちらしい。
「よくしゃべる子だったからねえ。
なんだか、灯りが消えたみたいで」
そう言って、母は少し笑った。寂しさを隠すための笑い方だった。私よりもずっと長く一緒にいたのだから、母のほうが辛いのかもしれない。
「もし、またご縁があったらさ」
私は慎重に言葉を選んだ。
「保護猫とか……うちに来てもいいよ、って思ってくれる子がいたら、迎えてもいいんじゃない?」
母はすぐには答えず、湯のみを両手で包んだまま、黙っていた。
──そんな中で、父がやらかした。
ある日の夕方、父が小さな箱を抱えて帰宅した。箱の中にはふわふわの影があった。茶色とクリーム色が混ざったような毛並みの子猫だ。
半月ほど前から、会社の近所で見かけていたらしい。
親とはぐれた様子で、会社の人たちも気になっていたようだ。
声をかけると鳴いたのだと、父は得意げに言う。
「うちの子になるか、って聞いたら、返事したんだ」
「あなた、そんな勝手に!」
母は当然怒った。
突然すぎる、心の準備ができていない、そんな言葉を並べながらも、手はもうタオルや段ボールを探している。見ていて、少し笑ってしまった。
私は子猫用のフードを買いに出かけながら、「ああ、これはもう飼うんだろうな」と苦笑した。
念のため、会社の近くには「子猫保護しています」とポスターを貼る。
獣医に連れて行き、検査はすべて異常なし。予防接種もして、正式に家族になった。
母はまたドイツ語絡みで名前を考えていた。
「クーヘンがいいわ」
ケーキみたいな色の毛並みだから、まあ、合ってる。
結局は「クーちゃん」で落ち着くんだけど。
クーちゃんはまだ小さいのに、もう何年もここにいたみたいな顔をしている。
テレビの天気予報を父と一緒に見て、新聞のチラシを眺める母の横で、広告の品に手を出す。
母にはご飯を、父にはおやつをねだる。その様子は、どこかみーこに似ていた。
今、クーちゃんは私の膝の上で丸まって寝ている。まだ軽い。
でもすぐに大きくなるんだろう。この家に来て、幸せって思ってくれるかな。
クーちゃんの小さな体をなでながら、そんなことを考える。あったかい。
みーこの温かさとはまた違う、この小さなぬくもりが、私たちのそばにある。
みーこがいなくなった寂しさは、消えない。
でも、この子がくれるぬくもりは、新しい記憶になっていく。
みーこの思い出と共に、これからたくさんの思い出を作っていくんだろう。
くぁ、とクーちゃんが小さなあくびをする。
その重みを感じながら、私は窓の外を見た。冬の陽射しが、部屋を優しく照らしていた。
──────
みーこさんが「今度はこの柄にしたのよ」と言ってる雰囲気で。
実家では、何代も同じ柄の猫がいます。(みな顔が似てるので、私の相方は何十年も同じ猫だと思っています)
先代猫が毛皮を着替えず、そのまま来てるのでは説が有力です。
12/11/2025, 4:10:29 AM