汀月透子

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〈灯火を囲んで〉

 あの中庭に足を向けるのは、本当に久しぶりだった。

 文化祭の夜。
 後夜祭のステージが終わって、校内の空気は一気に“片付けモード”へとなだれ込みつつある。
 私たち三年生は、このお祭りが済んだら一気に受験モードに切り替わる。いや、ホントなら夏休み前から入らないといけないんだろうけど、文化部だから。
 黒板の端には進学指導の予定表、廊下には願書案内。
 今日の夜は、“最後の夜”みたいな匂いがした。

 生徒はほとんど校庭に出ているので、校舎の中は暗い。中庭へ入る。
 コンクリートに残る昼の熱。植え込みの中、鉄柵の向こうで鳴る虫の声だけが、現実の時間をこっそり刻んでいる。

 写真部の部活として、夏休みに撮りためた写真のパネル展示を行った他に、美術部とのコラボで中庭でオブジェを展示した。
 その流れで、紙コップランプでモチーフを作った。点灯の様子を写真を撮って、三年生の部活は終わりになる。

 中庭のコンクリートに、ランプが河のように並べられていた。三十個近くある。部活を引き継いだ二年生が作ってくれたものだ。
 紙コップの側面は、それぞれが星、斜線、涙型、ハートなどの図形がランダムに切り抜かれている。
 そこから滲む橙色は、焚き火に近い温度を持っていた。

 私はひとつ、まだLEDが点灯していない紙コップを拾い上げる。
 底のスイッチを押すと、ふ、と光が宿る。
 ちいさな光のくせに、光っただけで孤独側から“少しだけ温度のある側”へ移動できる気がした。

「……奈保、来たんだ」
 背中から声。振り向くと、郁恵がいた。

 私と、郁恵と、徹。三人でよく撮影に行ってた。
 でもいつの間にか、考え方の角度が少しずつズレていって、三角形にならなくなった。
 角同士が向き合う位置が変わって、線がまっすぐ届かなくなった。
 進学、写真への向き合い方、考え方……誰が悪いとかじゃなかった。ただ、未来に向けての地図を描くペン先が、3つとも、それぞれ違う方向へ向いた。

「校庭、ちょっとうるさすぎて」

 私がそう言うと、郁恵は、うん、と小さく頷いた。
 声が、前よりほんの少し掠れている。

 そのとき、徹が走ってきた。
 手には缶コーヒー三本。
「甘い、微糖、ブラック。どれがいい?」

 銀色の缶が、紙コップの橙色であたたかく反射した。

 3人で紙コップランプの輪の内側にしゃがみ込む。
 コンクリートの、昼の熱が膝に触れる。
 顔の輪郭は柔らかくなり、影だけが濃くなる。
 たったこれだけの光で、“いまここにいる3人”は、ちゃんと浮かび上がる。

「奈保」

 郁恵が呼ぶ。
「もう一回だけ、3人で写真撮らん?」

 徹は一瞬で「ああ」と言った。
 私の胸の奥が、言葉には表せないような温かさで震えた。
 離れていたことに対しての、“許し”とか“決着”とかじゃない。
 ただ、今日の灯りの中に“この3人のかたち”を刻みたかった。

 三脚はない。
 徹はカメラをオブジェに置き、レンズを少し下向きにして角度を決めた。
 紙コップランプの流れが背景に入るように。
 タイマーを押して、急いで戻ってくる。

「いくよ」

 紙コップの灯りは、未来は照らさない。
 進路の正解も照らさない。
 でも、“今この瞬間、3人がここにいる”という事実だけは、ちゃんと見えるようにする。

 シャッターが落ちる。

 その瞬間の私たちは、分かり合えたわけでも、昔に戻ったわけでもない。
 ただ、“途上にある3人”の輪郭を、確かに静かに持っていた。

 後夜祭の終わりまであと十五分。
 風が出て、紙コップがかすかに揺れた。
 橙の粒が夜気のなかで震える。
 その揺れはまるで、「まだ終わっていない」と告げているように見えた。

 私は缶コーヒーの微糖をひとくち含む。
 受験のプリントも、模試の予定も、あしたのホームルームのことも、まだ先の話だ。

 ここに灯ってるのは、今日の“一点だけの光”。未来を照らすには弱いかもしれない。
 でも、今日の“今”を温めるには、充分だった。

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遊助の曲かな?

登場人物の名前、有名人のお名前になるのは思考が回らないからです。
あらあらフフッとなった人は同世代ですね。

所属の同好会、高校3年の文化祭まで気合い入れてましたな……まだあるのかしら?

11/8/2025, 3:39:09 AM