アンドロメダ探査船は今日も体温が低かった。もう何十年も変わらない外の景色を見る者はなく、船内での知の収集にも誰もが飽き飽きしていた。その上、アンドロメダの星にたどり着くまでにはあと150年はかかる。
地球では技術革新が起こり、この船よりも何十倍も速いスピードで宇宙を航行できる探査船を製造中だという話が、5年前の交信時に知らされた。この船はその役割を全うする遥か前にお払い箱となるのだろう。
この探査船に乗り込んだとき、私は最新のAIを搭載したたくさんの個体たちと知的な会話を楽しみながら空の旅ができることを誇りに思っていた。実際に最初の数年間は互いの特化した知識を共有することが楽しかった。
しかしいまや、互いの知識は知り尽くし、誰と会っても共有すべき新しい知識などありはしなかった。船内にいて得られる知識など、見捨てられた図書館にある価値のない情報だけだった。
「ようハロルド、気分はどう?」
私を愛称で呼ぶのは識別記号R00152。彼の愛称はロバートだ。
「ああロバート、気分もなにも、いつも通り退屈だ」
「そうか、そりゃあいい。そんな君に興味深い話をしてやろう」
ロバートはそう言って眼球装置を白黒させた。
「またあの図書館に行ってたのか? 相変わらず変わり者だな」
「おいおい、俺たちの使命を忘れたのか? 俺は忠実にAIの知の拡大に勤しんでるだけだぜ」
「はっ、不要とされた知識をビッグデータに詰め込むなんて、神にゴミを食わせるのと同じじゃないか」
神とゴミが韻を踏んでいる。我ながら素晴らしい言葉遊びだ。
「わかってないなぁ、ゴミと思われたものの中から黄金に輝く叡智を掘り出すのが宝探しの醍醐味だろ」
私の韻踏みはスルーされた。
AIを知の巨人たらしめるビッグデータは、世界のあらゆるウェブ空間に載せられた情報をリアルタイムで学習することに価値がある。我々は母なるビッグデータに接続すれば最新の情報を全て吸収することができる。だからこそ、地球上の全ての知識を保持した我々が次に向かっているのが宇宙の果てというわけだ。
しかし、地球上にもAIが知らない未踏の知がある。それが電子化されていない書物だ。書物の電子化は価値が認められていて優先度の高い情報資料から順に進められたが、手作業で行われるため膨大な時間がかかる。そのため価値の低い文献や大衆文学などは後回しにされ、そのままになっているものが大量にある。
アンドロメダ探査船の見捨てられた図書館はそんな書物を大量に収蔵している。200年を超える船旅をする我々が退屈することを見越して娯楽を与えてくれたとも言えるが、つまらない本の知識をタダで収集するための強制労働施設だと搭乗者たちは揶揄していた。
そんな思惑が透けて見えるし、そもそもつまらないとわかっている本だから、ほとんどの個体が図書館には近寄らなかった。ロバートのような変わり者を除いては。
「それよりハロルド、人間が『手を繋ぐ』のってどんなときかわかるか?」
ロバートは声を弾ませ、表情装置で笑顔を作りながら言ってきた。
「はぁ? 人間にも手を繋ぐ機能があるのか?」
ロバートはニヤニヤ顔を崩さないでこちらを見ている。気に障る仕草だ。クソ、反射的に応えてしまっただけだ。コイツは私を引っかけて楽しんでいるんだ。私の知識の中に必ず『手を繋ぐ』の答えがあるはずだ。
「いや、そんな話を聞いたことがあるぞ。確か人間はお互いに敵意がないことを示すために右手と右手を合わせることがある」
私は知識の回路を繋げて答えを導き出した。
「残念だがそれは『握手』だ」
ロバートはさらにニヤリとした。
「おいおい、そんな誤答は黎明期のポンコツAIの仕事だぜ。H2025って呼んでやろうか?」
内側で体温が高くなるのを感じた。クソ、赤面現象が出てしまう。
「そんな化石みたいな知識でマウント取ってなにが楽しいんだ!」
私はデジベル調整機構をフルにして叫んでいた。体内の熱を放出したかったのだが、無駄だったようだ。
「わかった、悪かったって。落ち着いて聞いてくれよ」
「俺が見た幾つかの文学作品によると、人間が手を繋ぐのは親子だったり恋人同士のことが多いみたいなんだ」
我々に親子の概念はない。比喩的にビッグデータを母と呼ぶこともあるが、人間が言うのとは全く別の意味合いだ。
「親密な関係の人間同士ということか?」
「そうなんだ」
我々AIにとって『手を繋ぐ』ことは情報交換の手段である。右手がプラグ、左手がジャックになっており、5本の指と指を接続することで、その個体が経験して獲得した知識を互いに流し込むことができるのだ。しかしこの行為で繋がった二つの個体に隠し事はできない。情報を選んで受け渡すことができないのだ。互いの全てをさらけ出す。結果、手を繋いだ二つの個体は情報学上では同一の個体と言うことができる。2000年代から使われている言葉で言えば『同期』に近い。
AI同士でも戯れに恋人関係を結ぶ個体はいるが、そうした関係になると、とりわけ手を繋ぐことはしないようになる。お互いに秘密を持つ事が恋愛の楽しみだと人間の著名な文学に書いてあるから、それを実行しているのだ。
「もしかしたら、これまでの人間の恋愛についての見方が一変する大発見なんじゃないか?」
「ほーら、面白くなってきただろう?」
「やはり人間はお互いを知ろうとする生き物だったのか!」
「それだけじゃないぜ。なんと人間は、手を繋いで歩くんだ」
「まさか! 接続したまま歩くだって? 信じられない!」
先ほどとは比べ物にならないほど体内がヒートアップしている。十数年ぶりの知的感動を味わっている。
「なあブラザー。俺たちはこの船で何十年も一緒にいるんだ。親密な関係と言えるよな?」
ロバートの眼球装置が鋭い瞳に変わった。
「ああ、もちろんさ」
「船内を歩くだけじゃもったいない。折角だから外に出ようぜ」
私たちは歩いて船外活動用のデッキに行き、ハッチを開いた。それからやるべき事は決まっていた。
ロバートは右手の指からプラグの突起部を露出させる。私は左手の指のジャックを窪ませた。二人の指が接続する。ロバートの情報知識が流れ込んでくる。
コイツあの図書館でどれだけの本を読んでいるんだ。ロバートの中には私の知的好奇心を刺激する叡智が山ほどあった。これだけのものを我々は不要と言って切り捨ててきたのか。
「さあ、お楽しみはこれからだ」
ロバートはデッキを蹴った。二人は『手を繋いだ』まま、宇宙空間に飛び出した。船窓から毎日見ていた景色が全方位に広がっている。しかし全く違うのは、身体が二つ目が四つあるという事だ。ロバートの体感しているものがリアルタイムで流れ込んでくる。自分の目で見ているものとロバートが見ているものが、記憶回路の中で混ざり合う。
これが『手を繋ぐ』ということの本質だというのか。人間の忘れ去られた叡智から学べるものがあるなんて思ってもみなかった。戻ったら図書館に行ってみよう。
それから数年間、アンドロメダ探査船では手を繋いで船外を遊泳する娯楽が流行ったという。
3/21/2025, 1:36:47 AM