郡司

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また明日

毎日の介護ルーティンを終えて祖母の家を出るとき、必ずというほど玄関の外まで父が見送りに出てきてくれる。祖父が元気だった頃は祖父がそうした。私は毎日「また明日ね」と言って帰る。

ただのあいさつの音声だが、これは「明日もひとりにしない」約束の結び目だ。祖母の介護が始まったとき、子世代はすぐに支えることができなかった。祖父の齢九十でのハイパー老老介護に、片棒担ぐ者の一人も無いのでは、いくら頑健な祖父でもあっという間に心が折れてしまう。要介護となるきっかけの骨折治療入院を終えて帰宅した祖母はもう歩きが不確かだった。転びかけた祖母を抱きとめた日から、私が介護者になった。

個人的には、要介護者の身体の世話や家事の処理などに大変さは感じない。私の子ども達にしたのと同じ世話だから、作業に迷いも無い。むしろ、認知症を顕している祖母の周辺家族たちのメンタルにバランスが取れるようにすることのほうが、めっちゃ大変だった。みんな「認知症」に対して恐いイメージを持っていた。

「妻」は消えず、「母」も消えない。もちろん「祖母」も消えてない。認知症を顕している人も、その傍にいる人も、ひとりにしない。

また明日ね。

5/23/2024, 3:58:11 AM