谷間のクマ

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《もう二度と》

「もう二度と、か……」
「? どうかしたかー? 蒼戒」
 とある春の日の夕方。いつもよりは早い時間から机に向かう俺、齋藤蒼戒の小さな呟きを双子の兄、春輝が拾う。
「あ、いや別に……」
「なわけねーだろ。見ていーい?」
「ま、まあいいが……」
 春輝が一応俺に断りを入れてから机の上を覗く。
「あ、これ国語の時の作文か。オメーが一行も進んでねーなんて珍しいこともあったもんだねぇ」
「うるさい。そう言うお前は終わったのか?」
「うん。面倒だったしテキトーに終わらせた。そーいや今日の課題の作文のテーマ、くじ引きだったんだっけ」
「そうだ。俺は見てわかる通り《もう二度と》だが……お前は?」
「俺? 俺は《謎》」
「《謎》?」
「そう。先生のテーマの基準どーなってんだか」
「ごもっともだな。ちなみに何書いたんだ?」
「うーんと……、あ、そうそう。謎繋がりで心霊現象とかについて書いた気がする!」
「自由だな……。俺は何を書こう……」
「どーせくじ引きで決めたお題なんだからテキトーでいーんじゃねーの?」
「まあそうと言えばそうなんだが……」
 《もう二度と》か。
 もう二度と戻らないもの、もう二度と戻らない日々、もう二度と、会えない人。
「一口に《もう二度と》と言っても後につく言葉次第で可能性は無限大だな」
「だなー。ま、深く考えすぎねー方がいいと思うぜ。思い出したって、辛いのはお前だよ」
 どうやら春輝には、俺が何を考えていたかわかったらしい。まったく、鋭い奴め。
「……それもそう、か。……ありがとう春輝。大体の目処が立ったから夕飯にするか」
「え、早っ! てかお前が素直に礼を言うなんて珍しい! 大丈夫か熱でもあるのか?!」
「うるさい。別にお前が食べないなら作らないが?」
「えーごめんそれはやめてー! 俺餓死するから!」
「わかったわかった。ちなみに何が食べたい? 1、アジの干物、2、サバの干物、3、イワシの干物」
「干物ばっかりじゃねーか!」
「仕方ないだろう。干物がたくさんあるんだから」
「えー、俺肉が食べたい!」
「じゃあ自分で買ってこい」
「鬼ー!」
「諦めろ」
 さて、夕飯を食べたら作文を仕上げよう。『もう二度と戻らない、輝かしい今日』について書こう。そうしよう。
(終わり)

2025.3.24《もう二度と》

3/25/2025, 9:11:46 AM