テツオ

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幼少期のわたしは、ただただバカでした。

頭でさまざまなことを考えていましたが、所詮保育園児、まるでトンチンカンなことしか、浮かんでいなかった。

たとえば、赤を血の色だと知った時、プチトマトが母親の手によって、グチャグチャに潰れてしまったのを見た時、わたしは、「赤を10回見たら死ぬ!」という、そんなワケないのだが、もしかしたらそうなるかもしれない、という、予想をした。

わたしはそのとき、自家の二階にひとりで尻もちをついていて、そう、そのとき、まだオムツを卒業出来ていなかったのだ。だから、尻が重くて、立ち上がったりはあまりしなかった。
それで、座っているだけだから、赤色なんて目に入らない。

しかしわたしは、「死ぬ!」と予想つけているのだから、よせばいいのに、頭を回して、目を回して、二階の部屋から赤色を探し出した。
好奇心の始まりだ。

あっというまに、10個、赤色を見つけ出して、出したが、死にはしなかったので、「もしかすると、100回みなきゃ死なないのかもしれない」と、途方もない考えを思いついた。

それから、すこしは赤色を意識して見ていたが、やはり、所詮は保育園児の妄想だ。
三日と経てば、この薄い赤は赤に数えられるんだろうか、この赤は昨日もみたような気がするが、これも一回に数えられるんだろうか、などと、つまらないことを思いつめ、終いには、ヒドイことに、自分が赤を何度見たか忘れた。

それで、「たぶん、この三日で赤なんて100回より多く見てるし、赤はこんなにたくさんあるんだから、死ぬまで危険なものじゃない」と、なげやりに終わらせた。
そんな、変な考えばかりを思いついて、中途半端に終わらせてばかりだったから、保育園でも小学校低学年でも、友達がすくなく、いじめられていたのだ。と思う。

しかし、幼少期の思い出は、あまり楽しいものがない。
0はなによりも大きい数字だ!などと思いつき、保育園中を触れ回ったりだとか、保育園児らしく、泥団子に熱中したりとか、それくらいだ。

だというのに、思い出の彩度はやけに高く、コントラストが派手で、まるで、サンバやサーカスみたいに映るのだ。
かといって、「パプリカ」の、華やかすぎて、気色が悪い、パレードのシーンみたいな、それじゃない。
そんな彩度で、まぶしいのに、そして起こっていることはたしかに嫌なことで、暗い思い出のはずなのに、カラフルで、美しいのだ。

そう、たとえば、保育園ではじめてプールにはいった日のこと。

プールなんだから、当たり前だが、よくある折りたたみ式のプールに、冷たい水がしきつめられているのがなんだかふしぎだった。
ナイロン袋に水を敷き詰めて、そこに飛び込もうとしてる、みたいな感覚に近い。

わたしは何人かの園児たちとともに、暑そうにタオルなんかを首にまいている先生らに見守られながら、冷えた水に体をひたした。

青いプールの底が、水に映っていたので、てっきり水は青色だと思ったのだが、手ですくいあげてみると、それは肌の色に変貌した。
バジャッと、となりにいた、園児に、強く水をぶっかけられて、その瞬間見えた色は、白と、空の透き通った青色だった。

アニメでおぼえた、透明という言葉は、この水に使われるんだろう、と察し、わたしは水を浴びた。

水の、無色という綺麗な色を感じて、そのヒンヤリとした冷たさと、頭に被ったプールキャップとの違和感に、体が引き締められたのを、今でもよく覚えている。

当時のわたしには、たしかに、透明という色が見えたのだ。

4/19/2024, 3:04:27 AM