ななしろ

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 下卑た言葉を掛けられようと、嫉妬の眼差しを向けられようと。彼女は素知らぬ態度で愛らしく微笑む。いつの日か、そんな毎日は辛くないのかと聞いてみたことがあった。されたことがない質問だったらしく、彼女は少し意外そうにしながら「それも仕事のうちよ」と事も無げに言ってのけた。……それからだっただろうか。彼女の美しさではなく、強さに惹かれるようになったのは。
 僕は金もない、地位もない男であるのは自他共に認める事実であった。その上で僕のことをちゃんと一人の客として扱ってくれる彼女に対し、相応しい男でありたかった。教養を身に付け、身嗜みを整え、またそれらを十分に叶えられるよう必死で働いた。たかだか女ひとりにのぼせ上がってと言われたこともあったが、そもそも僕は恥も外聞も気にするような立場ではない。それこそ素知らぬ顔をして嫌味や罵倒を受け流した。
 彼女をあの場所から救いたいとか、選ばれて贔屓をされたいとか、おこがましいことは思わない。全部は自己満足だ。誰よりも僕自身が、彼女の隣にいるための自信を得たかっただけなのだ。


「だから君に応えてほしいとは考えていない。ただ知っていてほしいんだ。……その覚悟が出来るまで、物や花に頼って本心を伝えなかった僕を許してくれ」

 彼女の領域。小さな寝室で片膝をつき、指先まで可憐なその手を取る。ランプに照らされる、驚きに満ちた顔を見上げながら心からの言葉を贈った。

「僕は君を、誰よりも一番愛している」

 情けないほど緊張で震えた声だった。彼女は何度か瞬きをした後に、やわらかく目を細めてくすくすと笑った。その姿に思わず息を飲む。見上げた先にいたのは、いつも誰かから向けられる感情を微笑みで躱す女ではなく、夢見るように甘い眼差しを持つ乙女だった。

「応えなくていいなんて、随分つれないことを言うのね。わたしはその言葉を聞く時を、そしてあなたにこの言葉を伝える瞬間を待っていたのよ。――わたしもあなたを愛しているわ。どうか、あなたの世界へとわたしを連れ出して」

3/31/2023, 8:38:10 AM