「んーじゃ、近道しようぜ」
「いーよッ!」
それを合図に、パピルスとサンズは世界の軋轢のただなかへ──直後、台所の冷たい空気に全身をひたす。
パピルスはなぜサンズが近道を提案したのか、など考える余地もなく、冷蔵庫を開けた。
「兄ちゃんコップだしてッ」
「へい」
ふぬけた返事をして、サンズは、パーカーの中で指を動かす。
カウンターの下にある戸棚が、ゆっくり開いて、サンズはパーカーから片手をだし、放漫な動きで手のひらを、開いた棚に向ける。
また指を動かすと、そこからくまちゃんの描かれたマグカップひとつがサンズのてのひらへ向かって、やる気のないキャッチボールくらいの速さで飛んできて、それを掴んだ。
もう片方のても同じように出すと、無機質なただの白いマグカップが、また同じように飛んできて、キャッチ。
パピルスが牛乳を抱えて、サンズを振り返る間の出来事だった。
サンズが二歩ほど前にでて、その足で戸棚をしめながら、カウンターにくまちゃんコップを置くと、パピルスがそこに牛乳を注ぐ。
良心的な量だ。
次に白いコップをおくと、パピルスもそこに牛乳の口をむける。
「ストップって言ってねッ」
「おっけー」
かたむいて、トクトク牛乳が流れ出す……
パピルスは、持ち手の下部分まで満たされたコップを見つめて、サンズをチラッと見るが、サンズはコップの中を背伸びして覗き見るどころか、めをとじてボーッとしていた。
……めで悪態をついてから、もう一度コップに視線を落とすと、もうコップの持ち手上部分まで満たされていて、くまちゃんコップにはいった量くらいになっている。
……くまちゃんコップの量を超えた。
あとすこしで溢れそうだ……
だが、アズゴアはいつもこのくらいいれている。
「ストップ」
溢れるすんでのところ、コップの口にはりついて、餅みたいにふくらんだ牛乳の表面が、サンズの声に、波紋をつくった。
パピルスは、ホッと息をついて、腰に両手をあてて叱る。
「めつぶってたでしょッ」
「へへへ。ピッタシだったろ?」
「……これピッタシっていうのか?」
今にもこぼれそうな牛乳を横目で見つめた。
しかしサンズはニヤニヤしながら「じゃ、レンジにいれてくれよ。こぼしちゃだめだぜ」なんて、無理難題を言う。
パピルスは、顔を怒らせて、ムリだッ!と叫んだ。
「けど、オイラ背が届かない」
「いれたげるけど、これじゃムリだよッ、ちょっと飲んで!」
「……けどオイラ背が」
「あーもー、わかったよッ!」
ちょっと背伸びすれば届くのに、とパピルスは小言を言いながらも、サンズのりょうわきに手を差し込んで、カウンターに届くくらいまで持ち上げる。
「サンキュー、ママ」
「まったくもー、はずかしくないの!?さっさと飲んでッ」
サンズは両肘をカウンターについて、コップを持ち上げず、犬みたいに牛乳をすすりはじめた。
その顔は、いまの状況からは想像つかないほど満足気だ。
コップのフチから牛乳の表面まで、どうにか隙間ができた頃、サンズはやっと床におろされ、コップはやっとパピルスの手によって、カウンターから浮く。
「電子レンジ、開けてッ」
「ほい」
指の動きに連動して、電子レンジのドアがガチャっと開き、そこにコップをいれる。
「兄ちゃんみててねッ」
すこしたのしそうなパピルスの顔をみて、サンズも無意識にたのしそうになる。
「ほーい」
返事は相変わらず、ふぬけていた。
しかし、サンズのココロはタンゴを踊っていた。パピルスの笑顔のおかげだ。
いまが真夜中でよかった。もしもそれ以外だったら、サンズはすぐにも家から飛び出て、くるくる華麗にターンをきめながら100kmはスキップ歩きをしただろう。
一方パピルスは、戸棚の中を漁っていた。
カウンターへ、シナモンをコンっと置き、はちみつと、サンズのためにさとうもドンッとだした。
サンズは濃くてあまい味が好みなのかもしれない、とパピルスはキッシュの件からそう考えている。
実際のところ、サンズは気に入っていた。
重要なのは、弟が自分のために調整している 部分である。
サンズが肉料理を断ずるのは、パピルスが彼をヴィーガンだと勘違いした時だ。
しかし、パピルスはいつでも、サンズを理解している、唯一のひとだ。
「もうそろそろかな?」
彼は尋ねた。サンズは頷く。
パピルスは笑顔を浮かべ、さらには膝をテンポよく曲げる。サンズはほとんどテキトーに頷いたのに。
トドメに「はやくのみたいなあ!」と、振りまく始末だ。お見事。
一瞬、サンズは自分のミルクもパピルスへと献上するべきではと考えた。
パピルスはいつでもワクワクを隠さない。だから、サンズは心から暖まる。
ふたつのマグカップは、赤いスポットライトの中で、くるりくるりと踊ってる。
パピルスは電子レンジのショーウィンドウへズンズン近づき、すぐさまサンズを振り返った。
「「チン!」」
サンズはパピルスを見上げながら、ヒヒッと笑う。パピルスも、サンズを見下ろしながらクスッと笑う。
「クックッ……!……へへ」
「ハ、フフ、ははははッ」
サンズは、昔のことを思い出して笑った。
パピルスが小さい頃、よくふたりで顔を見あわせては笑っていたのだ。お互いの顔が面白かったワケでも、なにかあったワケでもなかったが、なぜかとても笑えた。互いの笑い声を聞くと、余計に。
パピルスは、昔のように笑っていた。
さて、ショーの時間は終わった。
パピルスがマグカップをとりだして、サンズがてのひらにスプーンをふたつ飛び込ませる。
パピルスは、白いマグカップにさとうをどばっといれて、はちみつをかけ、シナモンをふりかけ、サンズは、くまちゃんコップにはちみつをかけ、シナモンをかけた。
カウンターのうえで、お互いにお互いへお互いのコップを滑らせ、お互いにアツアツの湯気に鼻骨を焼く。
「まだアツイかなッ」
「……まだまだアツイだろーな」
ふたりは、手でも全身でも熱さをなかなか感じられないが、魔法でつくった舌でだけは、敏感に温度を感じてしまうため、のむタイミングを測り兼ねる。
「もーいいかな?」
「湯気がなくなるまでまとッ!」
クルクル牛乳をスプーンでかきまぜながら、パピルスが言うので、サンズはそれに、また頬をゆるめた。
「りょーかい。じゃ、オイラソファで座ってるから」
グルっと旋回して、台所の出口へペタペタ向かうサンズに、パピルスは面食らったらしく、ふたつのコップを急いでもちながら、それを追いかける。
「ボクもいくッ」
サンズは、怠け者どうとか、なんて叱られるのかと思っていたが、予想外の言葉が後ろからついてきたので、ふと足をとめた。
パピルスは急停止した小さな背中を蹴飛ばさないように、同じく急停止し、ホットミルクがすこしこぼれる。
「え?もしかして暗いのがこわいのか?」
ゆっくり振り返ったサンズの表情は、ものすごいニヤニヤ具合。
パピルスは顔をみるみる赤くして、ホットミルクの湯気が顔からでてるみたいにみえる。
サンズはさらにニヤニヤした。
「ちっ」
パピルスは、真っ赤でまんまるくしためをすこしひそめ、
「ちっ……ぃ」
サンズから顔をそむけてギューっとめをつぶり、
「ちッがうもんッ!!!」
と、ジャンプしながら叫んだ。
またホットミルクがこぼれるが、パピルスはさっきから、そのことに気がついていない。
サンズはニヤニヤ笑いながら、
「そんなに“大声”だしたらユウレイもビビってどっかいくかもな。“おおこえー”なんつって……!?」
1/2/2025, 3:12:34 AM