私の家は卵の殻で、私の部屋は卵の薄皮、私の肉体は白身、そして黄身が私のこころ。
何重にも外から遮断された心地よい空間は、何も見えないし、聞こえない。なのに退屈しない。
正に孤高といえば手前味噌かもしれないけど、この周りを満たす空気とここにある家具や勉強道具は外からたくさんの人の手が加わって、ここに存在するんだと思うと、1人で独占するのがいいって思う。
でも、学校では殻を破って人と接しないといけない。
黄身が割れないように、割らないように、白身と混ざって訳が分からなくなってしまわないように、慎重に。
かといって、慎重にしても割れたり割っちゃったりすることもある。
その時は、目玉焼きを諦めてオムレツや卵スープ、スクランブルエッグとかになればいい。
大人になったら気づくけど、目玉焼きにこだわるより、他の道の方が奇想天外で沢山の道がある。
だから大人は、子供の黄身が割れてもあまり気にしないけれど、子供にとってそれはとても大きなことで、虚しさと情けなさで将来に希望が持てなくなる。
視野が狭くなって、こんなことなら殻ごとゆで卵になりたかった!と、卵の殻を割った学校が嫌いになる。
でも、その気持ちを忘れたり、覚えていても視野を広げげてあげるために割るのが大人。
5/23/2025, 12:15:03 PM