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二十歳という年齢はアンバランスだ。

周囲から大人として見られるこの年齢は
心の何処かで大人であるべきと叱咤しても、
心の未熟さが足を引っ張る。

大人と子供の間をふらふらと行き来して定まらず、
未熟なれど大人。大人なれど未熟。
そんなどっちつかずな状態をもて余す。

強制的な、子供から大人への入り口故
アンバランスやらアンビバレンスやらが起きても致し方ない。
こんな時こそ
焦らず自分らしさを大切に。
周囲ではなく自分の心が、未来を作っていくのだから。

もう随分前に入口を潜った大人から
新成人への餞とならんことを。

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真面目よりな文を書いたのでこちらでは気楽な感じにしましょうかね。

大人って一日にしてならず、なのですよ。
成人式迎えて、「ハイ。じゃあ今日から大人として振る舞いなさい」なんて大抵の人は無理なんです。
成人の日や成人式は、大人の入口に過ぎず、そこから時間や経験を得て大人らしくなっていくものだと自分は思っています。

そうそう、
未熟なれど大人。
大人なれど未熟。
言葉を逆にしただけと思われてしまうかもしれませんが、個人的にはそれぞれ違う意味を持たせています。
未熟なれど大人=未熟なのに大人として振る舞わなくてはいけない。しかし、まだ大人に成り立て(若い)なので、未熟なことをしてしまう。
大人なれど未熟=大人としてあるべきなのに未熟なことをしてしまう。大人(高齢も含む)なのだけれど、未熟さがある。
年齢的には大人でも未熟な人は案外います。
私もその一人。
もしかしたら、皆、未熟さを抱えながら大人への階段を登っている最中なのかも。
そう思うと、大人への道は存外長いのかもしれません。

1/10/2024, 12:12:58 PM