星になる

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それがとてつもない苦痛に思える。
道半ばで諦めるのは嫌だが、宛もなく、どこだか見当さえつかない道を歩き続けるのも、大概嫌だ。
であるなら、僕は、きっと道半ばで立ち止まってそこに咲いている花やら草を見るだろう。
その間を除くと、虫やらイタチがうじゃうじゃ蠢いているだろう。
気分が悪くなって、僕はまた立ち上がって歩くに違いない。
そうしているうちに、また、段々と歩み続ける足が棒のようになってきて、それでいて何も得られないこの虚しさに潰れそうになる。
思い出せるものなどほとんどなにもなく、またそれがあったとしても力になるわけでない。道具や食事に姿を変えてくれるわけでもない。
僕はどうすればこの道から出られるのかと、道から逸れて草花を踏み荒らし、離脱しようとする。
茂みに突っ込んだ足をムカデやバッタがうごうご登ってくるだろう。
僕は空に手を伸ばし、そして空に触るのだ。
トゥルーマン・ショーのような。
壁に描かれた空を空と認識していただけだったと僕は知って、また道に引き返すのだ。
尻もちをついて、途方に暮れ、やはりここを進んでゆくしかないのだと思う。
たったそれだけで、この出来事があったからと言って、僕の気持ちやサイクルが変わるほどでもない。
映画を見ても人生は変わらない。
そのひと時を一本に捧げ、自身の脳みそにある肥溜めへ放り込むのだ。
まれにそれが肥料となって、一本の芽を出すかもしれないが、それを育てるか諦めるかは自分次第と言ったところである。

そんなものだ僕とは。

誰かが一枚、一文にそのひと時を捧げ、誰かの肥溜めに放り投げられていくのを見つめるのだ。
その誰かから絶賛されても空虚な気持ちになってしまう。自分のその一つに、自分が一番納得していないからだ。
そしてまたそのひと時を捧げ、またつくる。
僕はどうにもならずにとにかく進んだ。

9/30/2025, 3:22:12 PM