冬にしては珍しい、よく晴れた昼。
江戸吉原の遊女達は、短い休息から気怠げに目覚め始める。
六つのとき、朝菊は吉田屋という中見世に売られた。
小声で文句を垂れつつ、のりのように薄い粥を掻き込んだ朝菊は風呂屋へ向かう準備を済ませた。
吉原の見世には、風呂がない。
此の生き地獄から逃げ出したいがために町に火をつける女郎が後を経たない吉原では、何処の見世だろうと火の元になりそうな風呂を作っていないのだ。
朝菊は昨日の情事で崩れた伊達兵庫から後毛が出ているのを気にしながら、桶にへちまと糠袋を入れた。
今日は見世へ出る前に髪結いを呼ばなきゃ、と思いつつ遣手婆に一声かけて見世を出る。
雪の降らない冬の風は、身を切り裂くように冷たい。
こんな寒さ、風呂上がりに湯冷めしちまうよ、と思いながら、朝菊は凍てつく身体を縮こめて風呂屋へと急いだ。
ようやく風呂屋に着き、身体を洗う。
へちまでしっかりと身体を擦り、糠袋でさらに磨く。
そろそろ糠がへたってきたな、と考えている時であった。
「あたし、糠袋ふたつ持ってるからやるよ。」
急に横から声をかけられ、視線をやる。
抜けるように色白のとても美しい女郎が、洒落た柄の糠袋を差し出している。
その美貌に気圧されながら、朝菊は返事をした。
「そんな、いいのかい。」
「ああ、ちょうど持て余してたんだ。ふたつもいらねえからさ。」
ありがとう、と朝菊は素直に受け取ることにした。
ふたり並んで身体を洗う。
「あたしは、柚川ってんだ。そこの深川屋でやってるよ。ゆずかわ、なんて変な名前だろ。」
「あたしは朝菊。吉田屋で働いてるよ。」
「吉田屋さんなら、あたし達ご近所さんだね。」
ふふ、と笑う柚川は、まるで柚子の花のように美しかった。
とたん、朝菊は乱れた自分の髪が恥ずかしく思えた。
昨晩の客は結った髪を乱すほどに好い男だったのかな、なんて、柚川に思われることが少し嫌だった。
柚川より先に身体を洗い終え、浴槽へ向かう。
湯に浮かんだ柚子を見て、朝菊は今日が冬至であることを思い出した。
しばし湯に浸かっていると、柚川も隣にやってきた。
今日も仕事だなんてやになっちまうよ、と柚川がぼやく。
柚川は人好きする性格のようだった。
ふたりは仕事の話や嫌な客の話、見世の遣手婆のぐちに花を咲かせた。
「柚川さんが柚子湯に浸かったら、においまで柚子になっちまうね。きれいな人から柚子のにおいがするなんて、みんな喜ぶだろうさ。」
そう言って、はは、と笑う。
柚川が仕事の用意を済ませた姿を想像して、一晩でも彼女の客になれる男が羨ましいと朝菊は思った。
柚川は、一瞬きょとんとした顔になり、すぐにまた花開くような顔で笑った。
そして、ずい、と顔を近づける。
「あんた、笑うといっそう美人になるねえ。あたしゃ、客が羨ましいよ。」
つう、と柚川の細く長い指が、朝菊の胸を伝った。
「それに柚子のにおいがするのは朝菊さんもだね。
あたしたち、ふたり、おそろいさ。」
「ふたりだけじゃなくて、風呂屋に来た女全員だろ。」
カラカラと笑う柚川に、朝菊は頬を膨らませた。
顔が熱いのは、長湯してのぼせたせいだろうか。
熱気とともに立ち昇る柚子の香に、朝菊は頭をくらくらさせた。
12/22 ゆずの香り
12/22/2024, 1:06:21 PM