もともこもない

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しにたいとき、私の代わりに叫んでくれた曲が響かなくなったあの時、私はとても幸せだったと思う。ふつうの、女の子になることができていたと思う。誰に何を言われても、どんなことがあっても、気にしないでいられた。
だけど、ずっと何かが足りないと感じるようになった。多分それは、音楽で感動するという行為のことだった。音楽は私が、毎日投げ出したい朝や、腸が煮えくり返るような、息が詰まるくるしいくるしい日中、消えてなくなってやりたい夜たちを共に過ごしてくれた、近くて遠い、星のような存在だった。ギリギリだったけど、生きるということをやめないでいられた理由だった。

足りない足りない足りない、学校から駅まで、電車の乗り換えの時間、電車の中、助けてくれた音楽は、私以外を助けに行ったように感じた。
いや、ちがうな。私の方が、変わっちゃったんだ。音楽はずっとそこにいる。ずっとそこで、聞いた季節や温度やその時の心まで記憶していてくれているのに、私は、去年の夏の自分の苦しみや考え方すら忘れ始めているんだもんな。
あぁ、こうやって、大人になっていくんだな。こうやって、自分はこんな人になりたくないと、喉を噛みちぎって引き裂いてやりたいとすら思ったおとなみたいに、なっちゃうんだな。
わすれたくない、でも、幸せになりたい。忘れたい、忘れちゃいけない、なかったことにしたくない、しちゃいけない。でも、でもどうしたらいい?
涙も出なくなった私を見たら、あの夏の自分が泣いちゃうかな。

あぁ、私、最悪。もう全部全部、嫌になったから、今すぐにでもこの空の遠く遠く、その先にある星や宇宙を見て、だいっきらいな大人たちにネタバレしてやろうかな。バーーーーカ!無神経で嫌味っぽくて考えの浅い、大人。クソみたいな性根の、おとな!って、言ってやりたいな。

でも私、この夏が終わる頃に、大人になるまであと2年になる。バーカって言われる側になるまで、あと2年。
2年、に年、にねん。たったのにねんで、あたし、だいっきらいな大人に、ならなくちゃいけない。いっそのこと、1年11ヶ月30日のときにしんでやろうかな。そしたらあたし、一生こども! いやいや、いましねば、十五夜満月ピッカピカのままだーー!
なんてさ、バカだな。

おとなになることって、やっぱり諦めることなのかな。妥協すること、なのかな。無神経になって、意地悪になって、無頓着になって、こどものころの苦しみを忘れていって、なかったかのように知らん顔で生きていくこと、かな。
おとな、うそつき。嘘つき。嘘月。
三日月って大人みたい。人生の満月だった子供時代のこと、忘れちゃったみたいに、冷たい見た目。横目で知らんぷりして、自分は関係ないからわるくないですよーってさ、ずるいよ、そんなの。三日月になるくらいだったら、いっそのこと新月になったほうがいい。消えて、なくなったらいい。希死念慮って、こういうこと?わかんない。おとななら、そんなの違う!とか、甘えだ!とかさ、また言うのかな。うるさーーーーい!!三日月なんてさ、三日月なんてさぁ。
とか、今は言えても、人の事言えなくなる日がもうすぐそこにあるんだね。

今日の月は、どんな月?怖くて窓の外、見られないや。臆病なままでも生きていけるのって、こどものときだけ、かな。満月の15歳、人生で1番くるしかった、15歳。束の間だったけど、ふつうのしあわせをはじめてはっきりと実感しちゃった、15歳。8月なんて一生こないでいいよ。誕生日、あたしだけ誕生日、いらない!
なんてさ、バカだね、あたし。バカな、こども?それとも、おとな?おしえてよ、お月様。寄り添ってよ、なみだ。抱きしめてよ、音楽!お月様は今日は、どんな形をしてるの?なみだはなんで、出てきてくれなくなっちゃったの?ねぇ、ぜんぶ、どうしてなの?

今日は、月齢11の、名前のない月でした。ほんとうはあるのかもしれないけど、とにかく、丸でも四角でも三角でもあらわせない、言い表せないかたちでした。
なんとなくですが、完全なこどもでもいられなくて、おとなになりかけてしまっている、何者にもなれていない、今の私みたいだと思いました。そう思うと苦しくて、泣きたかったけど、やっぱりなみだはもう、さ。

でも音楽はもう一度、私を抱きしめてくれました。
なんでなの
分からない。わからないから気になる。こどもだから、かな。私、まだこどもかな。わからないけど、ありがとう。ありがとう、明日はこどもだから、アイス2つ食べようかな。なんてね、じゃなくて、おやすみなさい。


7/16/2024, 4:40:14 PM