「“私の名前”は」
誰しも一度は声に出したことがある文章だろう。特に、春。新学期の自己紹介であったり、新しく友人を作るときであったり、聞き覚えのある文章だ。
私はこの流れが苦手だ。友人を作る、までは良いけれど、その後も友人と関わらなければいけないのが面倒だった。これらの流れが面倒だと表面から表し、少しでも距離をおけば、多くの友人は離れていくだろう。そして、その中でも、近くにいてくれる友人だけと関わっていたい。その友人だけを、大切にしたい。これは3人も5人も必要なわけではなく、ただ、1人で良いのだ。相互依存の関係とまでは言わないが、互いに互いしか居ない友人ほど、信用できるものはない。そして、多岐依存の友人ほど、脆い関係などないのだ。
私の中での友人の定義は、大体好きで、所々嫌で、けれどそれらを伝え合うことのできる関係性だ。
これを君に言うと「それは親友だよ」と言われた。そうなのかもね。けれど、私からすると、君は1番の親友なんだ。「私の名前は」から始まった君との脆い関係も、いつからか誰よりも信じられる君に変わったんだ。いつ、これらが友情ではなく愛情に変わったと告白できるのだろう。そんな時も君は変わらず「私たちは親友だよ」と言いそうだね
7/21/2024, 12:14:04 AM