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「生き続けてみたい」
 そう思うのには遅すぎたでしょうか。


 私は記憶がある時からずっと、目を覆いたくなるような不幸を隠してきた。
 そして不幸である事を受け止めず、自らを幸せだと思い込む事で自分を傷つけた気でいた。
 傷ついていく自分を差し置き、他人を救ったのは、いずれ私は命を落とすだろうと感じていたからだった。
 その感覚に感情は伴っていない。ただ文献を読み進めていくような、知識を蓄えていくのと同じように、この傷はいつか自分の命を蝕んでいくものだと知った。

 それでも私はわざと笑い、救われる理由を消し去った。手を差し伸べるに値する人間であることを完璧なまでに隠し通した。
 そんな中、他人も私も、私を傷つけるから、きっとそれは上手くいくだろうと、いつか私が正当な理由で亡くなることが出来ることを確信した。

 正直自分の人生など、どうでも良かった。
 心身共に傷つき、毎夜うなされ、涙を隠し、1秒たりとも安心など出来なかった空間に身を置きながら、幸せを演出した人生。
 いつか自ら命を絶たずにこの世から去ることが出来る事への希望だけで、その情熱は生み出された。

 そしてそれは訪れる。
 短すぎずとも長すぎないであろう寿命を提示され、私は泣いて喜んだ。
 この為に、私は私の心を傷つけ続け、そしてそれを隠し続けたのだ。
 努力が報われたと思った。


 しかし出会いは訪れる。
 突然現れたその人によって、不覚にも生き続ける未来を想像してしまった。
 1日後の未来も想像できなかった私が、40年後の未来を想像した。
 その人は特別優しいわけではない。愛を囁いてくれるわけでもない。
 ただ私が死んだあとのその人の悲しみを察するだけで苦しく思えた。

 しかし遅いのだ。
 今更穏やかに生きられたところで、過去の記憶が永遠に私を蝕み続ける。
 そして、その人はきっと私を愛してはいるだろうが、私はその人に救われる事を望んでいない。
 救うという事は、同じだけの痛みを背負うことになるからだ。

「しかし生き続けてみたい」

 その思いが溢れるばかりの日々に、私は生まれて初めて、自分を傷つけ続けたことを後悔した。


2/5/2024, 8:32:59 PM