夕焼けが、やけに静かだった。
屋上には、__と〈君〉しかいない。
いつもと同じはずなのに、今日は音が少ない。
風は吹いているのに、
どこか遠くの出来事みたいに聞こえる。
〈君〉はフェンスにもたれて、空を見ていた。
その横顔は、夕焼けに溶けかけているみたいで、
少し目を離したら見失いそうだった。
「ねえ」
呼ぶと、〈君〉は振り向く。
その動きが、ほんの少しだけ遅れる。
「もしさ、明日が来なかったら、どうする?」
同じ質問。
でも今日は、答えを聞く前から分かってしまいそうで、怖い。
「今日をちゃんと終わらせる」
やっぱり同じ答え。
でもその声は、昨日よりもずっと軽い。
まるで、ここに留まる気がないみたいに。
「ちゃんと、って?」
__は問いかける。
引き止める理由を探すみたいに。
〈君〉は少し考えて、困ったように笑った。
「ちゃんと、さよならすること」
その言葉だけ、やけにはっきり聞こえた。
胸の奥が、静かに冷える。
「……誰に?」
聞いた瞬間、後悔した。
でも、もう遅い。
〈君〉は少しだけ目を細めて、
まっすぐ__を見る。
「君に」
風が吹く。
その一瞬で、〈君〉の髪がほどけるように揺れて——
輪郭が、わずかに崩れた。
「待って」
思わず一歩近づく。
「それ、どういう意味——」
言葉が続かない。
続けたら、全部終わってしまいそうで。
〈君〉は首を小さく振った。
「ねえ」
その声は、もうほとんど風と同じだった。
「明日、ここに来る?」
「来る」
即答する。
考える余地なんてなかった。
来るって言わなきゃ、
今この瞬間に何かが切れてしまう気がした。
〈君〉は、ほっとしたように笑う。
でもその笑顔は、
もう形を保てていなかった。
「そっか」
その一言が、やけに遠い。
「じゃあ、安心」
安心、という言葉だけが残って、
〈君〉の存在は、そこから少しずつほどけていく。
「約束ね」
その声が落ちるころには、
もう姿は、夕焼けと見分けがつかなくなっていた。
「待って、まだ——」
手を伸ばす。
今度こそ触れられると思った。
でも、指先はただ、
少し冷たい空気を掴んだだけだった。
—
気づいたときには、
屋上には__ひとりだった。
最初から、ずっとそうだったみたいに。
—
次の日。
屋上の扉は閉まっていた。
壊れていた鍵は、新しいものに変わっている。
開ける理由も、なくなっていた。
—
放課後、窓から空を見る。
昨日と同じ夕焼け。
同じ色。
同じ風。
でも、決定的に違うことがひとつだけある。
「約束」を、したはずなのに。
ここに来るはずだった〈君〉が、
もうどこにもいないこと。
—
__はふと思う。
あのとき、もし。
「来るよ」じゃなくて、
「行かないで」って言えていたら。
何か、変わっていたんだろうか。
—
答えは、どこにもない。
ただ、夕焼けだけが、
昨日と同じように静かに沈んでいく。
__はもう、手を伸ばさない。
伸ばしても、届かないことを知っているから。
—
それでも、風が吹くたびに思い出す。
触れられなかった指先と、
最後まで形を失っていった、あの笑顔を。
3/21/2026, 2:47:46 PM